穂積駅 | ヒガミちゃんは、当HPの、次の掲載ネタが無い状態が気に入らないらしく、無理矢理旅程を、 ねじ込まれ・・・「早く、予定立ててネ・・・予定表送ってネ・・・」と煽りますが・・・ |
2020/01/25 | |
切符は事前に購入してもらった「JR東海&16私鉄乗り鉄たびきっぷ」。 特急券は熱海で分割して購入します。ですので、熱海で下車する必要も無く・・・ いつものように東京駅で買った深川めし・・・ ヒガミちゃんは新横浜600発のひかり493号で先行していますが、その理由は追々分かりますよ・・・ 北柏 456 レ 柏 459 515 レ 上野 543 546 レ 山手線 東京 554 626 レひかり501(熱海から有効)JR東海&16私鉄乗り鉄たびきっぷ 名古屋 818 824 レ 勝川 843 935 |
2020/01/25 | |
名古屋で乗り換え、少し北上・・・ 勝川駅で下車・・ |
2020/01/25 | |
少し線路沿いに戻ると、・・・ あからさまな欠線部分の先、高架上に駅が見えてきます・・・ |
2020/01/25 | |
城北線の気動車が着いたところ・・・この後、この車両は手前へ待避・・・ 旧国鉄が名古屋方面の環状線として計画しつつも頓挫した路線とのこと・・・ 国鉄の予定線ということで踏破対象とするべきでしたが、見落としてました。 |
2020/01/25 | |
乗車する列車・・・ここでもヒガミちゃんが先行しています・・・ 勝川 843 935 レ 城北線 枇杷島 951 1009 |
2020/01/25 | |
枇杷島駅に到着・・・ 予想はしていましたが、全線高架で少々面白味の少ない路線・・・ 枇杷島 951 1009 レ 岐阜 1031 1035 レ 穂積 1040 |
2020/01/25 | |
途中、木曽川駅でレンガ油庫・・・ こちら側からは見えませんが、出入口の差し掛けにも雨どいが在るのが珍しい・・・ |
2020/01/25 | |
穂積駅着・・・この頃ヒガミちゃんから、Messenjer で、 「大垣と西大垣に木造油庫あり」 と・・・ |
2020/01/25 | |
瑞穂市にはレンガ橋りょうを紹介した HP があり、 それを参考にレンガ橋りょう巡り・・・ 先ず、穂積駅岐阜側にレンガ橋が在ります・・・ 絵が描かれていますが、中身はレンガ橋りょうです。南側から・・・ けた下注意の表記の下には、 402K282M4 一の町架道橋 とあります。 |
2020/01/25 | |
北側から・・・塞がれているのが少し見えますが、・・・ 昔は内部からも直接ホームへ行けたそうです・・・ レンガ橋なのか鉄橋なのか判り難い・・・ |
2020/01/25 | |
少し大垣方面へ歩くと・・・ 402K973M42 三の町橋りょう とあります・・・ヒガミちゃんは 「養老鉄道でタオル売ってるぞ!」 と、はしゃいでいます・・・ |
2020/01/25 | |
反対側・・・半分は水路です・・・ |
2020/01/25 | |
途中の橋梁・橋台部分・・・ 元々、低い位置にあった線路をかさ上げしたように見えます・・・ この区間は、揖斐川・長良川に挟まれた低地のため、 水害に悩まされた事でしょう・・・ 多数のレンガ橋りょうは、水路も併設していることから、 避溢橋の役割も果たしていたのではないでしょうか? ヒガミちゃんは 「養老駅にも木造油庫があった。」 ・・・と騒いでいます・・・ |
2020/01/25 | |
これ以上接近する手立てがありませんが、水路橋です・・・ 403K512M55 乙五の町橋りょう とあります。 |
2020/01/25 | |
さらに行くと・・・ 403K671M27 一の町橋りょう 三の町・・・五の町・・・ ときて、一の町になるのは、よくわかりませんが・・・ |
2020/01/25 | |
床面はグレーティングで、ここも下は水路です・・・ |
2020/01/25 | |
反対側・・・レーザー測距儀で採寸・・・ 幅は内寸で2440mmで、この辺り全て同じサイズのようです・・・ |
2020/01/25 | |
さらに先には、 404K172M38 宮東橋りょう |
2020/01/25 | |
こちらも下は水路です・・・ こちらは落ちると厄介そう・・・ |
2020/01/25 | |
反対側は鉄骨で保護・・・ |
2020/01/25 | |
たまには電車を絡めて・・・ |
2020/01/25 | |
川へ出ます。この辺に、雁が坪橋りょうが在るはずですが、見逃してしまいました・・・ まあ、全部同じような形なので・・・ |
2020/01/25 | |
橋脚も観察・・・ |
2020/01/25 | |
田中吹橋りょう・・・ ここも下は水路のようです。 線路下を斜めに横断していますが・・・ |
2020/01/25 | |
というわけで、ネジリマンポです・・・ 405K397M49 田中吹橋りょう 左の看板には、下のような写真と・・・ 「田中吹橋りょう ねじりマンポ」 田中吹橋りょうはレンガが 斜めに積まれている非常に珍しい ねじりマンポです。 瑞穂市内のマンポ 検索 瑞穂市 |
2020/01/25 | |
レンガが斜めに・・・ |
2020/01/25 | |
内巻きのレンガが歯形になるのが面白い・・・ 幾何学ですな・・・ |
2020/01/25 | |
まあ橋脚も色々・・・ |
2020/01/25 | |
405K680M53 乙中吹橋りょう この辺りで唯一コンクリで固められている・・・ |
2020/01/25 | |
コンクリ部は数メートルで残りはレンガ・・・ コンクリ部とレンガ部の継ぎ目・・・ |
2020/01/25 | |
反対側は補強されていますが、辛うじて往時の姿を留めています・・・ 当初、さらに東大垣方面のまんぽを見学し、東大垣から樽見鉄道に乗る予定でしたが、 間に合いそうにないので、進路を北へ変針・・・ この先の東大垣方面のレンガ橋梁を見たい方は こちら ・・・ねじりマンポも在るヨ・・・ |
2020/01/25 | |
HPにもあった瑞穂市内の橋りょうを見に行きます。 神社の釣り鐘など見つつ・・・ |
2020/01/25 | |
樽見鉄道の橋りょうを見て・・・ 線路は川越する辺りが最も高い。 |
2020/01/25 | |
十九条西橋りょう・・・ コンクリ製の簡素な橋りょう・・・ |
2020/01/25 | |
十九条東橋りょう・・・ 背が低く潜るのがやっと・・・ 川から離れるに従って、線路も低く・・・ |
2020/01/25 | |
十九条駅近くになるとお地蔵さん・・・ |
2020/01/25 | |
十九条駅。昔懐かしい枕木の柵の駅・・・ |
2020/01/25 | |
下り列車・・・ |
2020/01/25 | |
この列車で大垣へ・・・ 「伊勢市に古いモルタル油庫あり」 と、さっきからヒガミちゃんが油庫発見と騒がしい・・・ 要は、ヒガミちゃんは油庫発見!攻撃をしたいために、 予定を聞き出して先行していたのでした・・・ この後、鳥羽から知多半島にフェリーで渡ったようです・・・ 十九条 1434 レ 大垣 1434 1445 |
2020/01/25 | |
揖斐川の新旧橋りょう・・・ 旧は現在、歩道橋になっています・・・ |
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大垣駅で養老鉄道に乗り換えます・・・先ずは揖斐線の踏破・・・ 大垣 1434 1445 レ 揖斐 1509 1515 |
2020/01/25 | |
揖斐駅の木造倉庫・・・ 火気厳禁とあるので、木造油庫でしょう。 |
2020/01/25 | |
揖斐駅本屋・・・時間も無く即刻引き返します・・・ 揖斐 1509 1515 レ 大垣 1540 1546 |
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再び大垣駅・・・ 車止めは襟巻のように木片を巻いている・・・ |
2020/01/25 | |
反対側の車止め・・・ こちらはバッファーのようなものを付けている・・・ 大垣 1540 1546 レ 西大垣 1548 1632 |
2020/01/25 | |
養老線踏破へ出発・・・ しかしヒガミちゃんが見つけたという油庫が見当たりません・・・ これを見誤ったのではないかと・・・ 下半分はブロック積、上半分はトタン板で葺いています。 |
2020/01/25 | |
西大垣着・・・ |
2020/01/25 | |
西大垣駅・・・ ヒガミちゃんが Messenger で云っていたタオルを買い求めます・・・ 鉄道グッズのタオル・ハンカチ類は、利用もし易く、集めていますので・・・ |
2020/01/25 | |
この駅にも木造油庫が在りました・・・ |
2020/01/25 | |
建物財産標の類は見当たりません・・・ 横長の白い札には 備品・・・と書かれていますが、 全ては読み取れませんでした。 |
2020/01/25 | |
自転車との取り合わせが・・・ |
2020/01/25 | |
支えの板は各駅各様・・・ |
2020/01/25 | |
木製ラッチの羅列・・・ 西大垣 1548 1632 レ 養老 1651 1731 |
2020/01/25 | |
養老駅に着くとヒガミちゃんが云った通り、木造油庫?が在りました・・・ 火気厳禁の表示が見当たらないので、一般の倉庫かも・・・ 扉に火気厳禁の札の跡が在るようにも見えます・・・ 寸法計測など行っていませんが、揖斐駅のものとほとんど同様のようです。 |
2020/01/25 | |
養老駅・・・ ヒョウタンの飾りの在る辺りは元貴賓室・・・ |
2020/01/25 | |
ドーマー部・・・ |
2020/01/25 | |
随分立派な駅舎ですが、次のような謂れが原因しているのかもしれません・・・ 駅前の案内板には・・・ 孝子源丞内(こうしげんじょうない)のお話 昔、元正天皇の御時、美濃の国に貧しい男がいました。 この男は山から薪を取って来て、それを売って年をとっ た父を養っていました。この父は、大変お酒が好きだ ったので、男は「ひょうたん」を腰につけていて帰りに お酒を買って来ては父を喜ばせていました。 ある日、山の中でこけの生えた石にすべって、うつむ けにころんでしまいました。するとどこからか酒のにお いがするので、ふしぎに思ってあたりを見まわすと、石 の間からお酒ににた水がわいていました。 汲んでなめてみると、たいへんおいしいお酒の味がし ます。男は喜んで毎日このお酒を汲んで持ち帰り、父を 喜ばせていました。 このことはやがて元正天皇のお耳に入り、わざわざ養 老へお越しになりました。そのお酒の出るところをごら んになって「これはこの感心な親孝行を神さまがおほめ になり、お酒をおさずけになったにちがいない」とおほ めになりました。そして年号を{養老」とお改めになり 「養老の瀧」と名付けられ、この男を「美濃の守」とい い役人におとりたてになりました。 (うらもごらんください) 記 この石像は「孝子 源丞内(こうしげんじょうない)」です。「孝子」とは親に 孝行をした感心な人、という意味です。 天皇が養老の地に行幸になられたのは、第四四代の 元正天皇(西暦七一七年)と翌年(西暦七一八)と 第四五代の聖武天皇(西暦七四〇年)の三回です。 この源丞内のお話は『続日本紀』(西暦八六六年)と 『古今著聞集』(西暦一三五四年)『大日本史』(西暦 一七〇九年)『十訓抄』(西暦一二五二年)また『謡曲 養老』『養老寺縁起』など、多くの本により古くから広 く全国に伝えられていきました。 この「孝子 源丞内」は私たち町民の誇りと希望であ ります。この願いをこめて私たちの住む町を「養老町」 と名付けられました。また「親孝行のふるさと養老」を 全国に発信し「養老町民憲章」を実践して「孝子 源丞 内」をめざしております。 この石像は、源丞内の親孝行に感動された駒野の、 川瀬くらさんが、昭和十四年(西暦一九三九年)三月に 建立されました。 平成十四年一月吉日 養老孝子源丞内の会 養老駅前会員 建立 |
2020/01/25 | |
もう日が暮れます・・・ |
2020/01/25 | |
電車が入線直前の養老駅・・・ 養老 1651 1731 レ 桑名 1819 1834 レ 名古屋 1908 1934 レこだま680 豊橋 2002 豊橋に着いてからは、どこも混んでいてチェーン店で宴会・・・ 当方、飲酒をせずも、 チューハイもジンジャェールも大して値段は変わらないからと、 きっちり割り勘・・・相変わらずのせこさぶりを発揮・・・ |
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