無軸_top
備後東谷橋梁 ヒガミちゃんから電話・・・明日から旅行ですか・・・天気良さそうだね。後は何かで
お宅が抑止に巻き込まれるのだけが楽しみだ・・・などと宣わっていますが・・・

そもそも、自分も一週間後には出かけるのに、ヒガミ根性もここまでくると末期的・・・
2022/5/22
早朝の上野駅地上ホーム・・・

本日の行程
北柏 432

柏 435 456

上野 524 622
レかがやき501
金沢 845 902
レサンダーバード14
敦賀 1014
|タクシー \1,030-
ランプ小屋
敦賀鉄道資料館
|タクシー \1,050-
敦賀 1202
レサンダーバード17
福井 1233 1312

細呂木 1333
|徒歩
牛の谷 1639

金沢 1736 1739

高岡 1818 1847

新高岡 1850

2022/5/22
これに乗るのは初めて・・・
今回、使用する切符は、おと休、北陸フリーきっぷ \22,410-

北柏 432

柏 435 456

上野 524 622
レかがやき501
金沢 845

2022/5/22
いつものチキン弁当・・・

2022/5/22
赤い眼鏡の下には「めがねのまちさばえ」・・・と書いてあります・・・
右側は視力検査表。

2022/5/22
敦賀へ到着・・・

金沢 845 902
レサンダーバード14
敦賀 1014
|タクシー \1,030-
ランプ小屋

2022/5/22
タクシーでランプ小屋へ到着・・・先回、訪問時から大分きれいに改修・整備されています・・・
先回はぺんぺん草も生えている状況でした。 以前の状況こちら
屋根はスレートから本来の瓦屋根に戻されています。

雨樋もちゃんと取り付けられていますが、
縦樋の位置は若干変わっているようです。
旧復するなら、できるだけ原型を尊重して欲しいところ。

2022/5/22
扉が二つ在るのは部屋が真ん中で仕切られている為と、今回、判りました。
火災が起きても被害を最小限に留める意図かな?
建屋の寸法 7103×4141mm
レンガの寸法 約235×110×60mm

2022/5/22
灯火類とその説明があります・・・
左のレンガ壁が、隣の部屋との仕切り。

2022/5/22
通気口が丸窓だったり・・・

2022/5/22
洋風の窓の傍らには、戦後期のドラム缶の展示。

2022/5/22
隣の部屋には開業当時の石油缶とパネル展示が各種・・・

2022/5/22
幅広の窓の上にはレンガを積まない・・・
レンガの特性を活かした構造。
窓の幅 W:1600mm

2022/5/22
洋風の窓 窓下寸法がレンガ三段分と少な目。
W:1000 H:1415mm

2022/5/22
敦賀鉄道資料館へ・・・
敦賀港線の線路は大分剥がされてしまったようですが、
残されているのは何とカーブポイント・・・

2022/5/22
以前は無かったキハ28 3019が、レンガ倉庫の隣に展示されています・・・
状態は非常に良好です。解説板には次のように・・・
それによると大変貴重なタイプのようです。

キハ28 3019 (Kiha 28 3019)
この気動車は、1968年12月21日に富士重工で「キハ28
1019」として製造された日本国有鉄道の急行型気動車です。
かつて、急行わかさとして小浜線で活躍したこともある本市ゆかり
の同形車両となっています。
キハ28形は全国的に有名ながら、保存されている数は多くあり
ません。その中でも、この車両は、前面窓が側面まで回り込んでい
る「パノラミックウインドウ」、運転台下部に「排障器(スカート)」
という特徴を持っています。
この2つの特徴を持つ車両は、1968~1969年度の2年間で製造
された111両のうち、国内で完全な形で現存しているのは同車のみ
という大変貴重な車両と言われています。
キハ28 3019は北近畿地区を中心に活躍を続けましたが、
2000年3月6日に廃車となりました。和歌山県白浜町にて屋内
保存が続けられていましたが、その後解体が決定され、それを惜し
んだアチハ株式会社(大阪市)が保管を続けていました。
そして、2017年12月に本市で開催された「敦賀・鉄道と港」
まちづくり実行委員会主催の「つるが鉄道フェスティバル」で同社
協賛により展示されました。このとき昔の小浜線を懐かしむ市民
の声を受け、本車両の価値を認識し、「鉄道と港の町敦賀」を発信
する、後世に伝えるべき「鉄道遺産」として保存するため敦賀市が
取得し、2018年5月に設置しました。
2018年 敦賀市

1968年 「キハ28 1019」として製造 福知山に配置
1971年 豊岡区へ転属
1976年 冷房用発電装置搭載「キハ28 3019」へと改番
1982年 福知山区及び豊岡区で活躍(~1999年)
2000年 廃車
2018年 敦賀市が取得
(写真4枚・QRコード)

2022/5/22
敦賀鉄道資料館に到着・・・以前にも2回来ていますが、そのときはいずれも閉館中で
三度目の正直でようやく内覧することができました・・・

旧敦賀港驛舎(敦賀鉄道資料館)
この旧敦賀港驛舎は、かつて「欧亜国際
連絡列車(新橋~敦賀港駅~ウラジオスト
ク~シベリア鉄道経由ヨーロッパ)」の発
着駅として、多くの人々や文化を運ぶ重要
な位置を占めていた金ヶ崎驛(後の敦賀
港駅)舎を再現したものです。
館内では敦賀港の歴史、敦賀の鉄道の
歴史を紹介したパネルや、貴重な鉄道資
料を展示しています。

2022/5/22
いろいろ展示がありまして・・・

2022/5/22
特に気になったのが、北陸線旧線トンネルに掲げられていた扁額の説明・・・

③扁額「萬世永頼」へんがく(「ばんせいえいらい」)長浜市
旧北陸線柳ヶ瀬トンネル東口に掲げられていた石額。伊藤博文が揮毫し、この鉄道が世のために働いてくれ
こと
を、いつまでも長く頼りにするという意味。鉄道敷設にかける明治政府の意気込みを示している。

他にも

④扁額「永世無窮」(へんがく「えいせいむきゅう」)長浜市
旧北陸線葉原トンネルの北口にあった石額。終わることなく、鉄路が役立つことを願うという意味。

⑤扁額「與國咸休」(へんがく「よこくかんきゅう」)長浜市
旧北陸線葉原トンネルの南口にあった石額。黒田清隆が揮毫し、同盟国がことごとく盛んになることを願うという意味。

⑥扁額「功和于時」(へんがく「こうかうじ」)長浜市
旧北陸線中山トンネルの南口にあった石額。黒田清隆が揮毫し、事業の完成は時代の要請にあっているという意味。

⑦扁額「徳垂後裔」(へんがく「とくすいこうえい」)長浜市
旧北陸線中山トンネルの北口にあった石額。黒田清隆が揮毫し、この鉄道を完成させた徳は子々孫々まで残るという意味。


少々、過剰な意訳が含まれているようにも感じますが、どうなんでしょう?

2022/5/22
無料で頂いた秀逸なパンフレット・・・
福滋県境 鉄道遺産回廊 周遊ガイドブック とあり、
旧北陸線(北陸トンネル開通前)のトンネル群の周遊解説など、
歴鉄には貴重な参考資料・・・

いつか北陸線旧線トンネル群も訪問したいと思っているのですが、
現在駅から遠いのが、車をほとんど使わない歴鉄にはハードルが高い・・・

2022/5/22
敦賀鉄道資料館
|タクシー \1,050-
敦賀

敦賀駅へ戻って、29600の動輪の展示・・・

この動輪は敦賀駅開業100周
年を祈念して設置したものであ
り、地元敦賀市と国鉄が両輪と
なって力強く200年を目指して
驀進することを象徴しています。
昭和57年3月 敦賀駅長

国鉄は、この5年後に爆発してしまいましたが・・・
とツッコみたくなる。

2022/5/22
サンダーバード17号の入線・・・

敦賀 1202
レサンダーバード17
福井 1233 1312

細呂木 1333

2022/5/22
今庄駅では、
基部がレンガの給水塔と、レンガ足の給炭台をセットで見られる・・・

2022/5/22
福井駅近く・・・
えちぜん鉄道の旧型電機

2022/5/22
森田駅の手前。九頭竜川を渡る鉄橋・・・
プレートを上下に継いでいるリベットと当て板があるプレートガーダー
少し珍しいものかも知れぬ・・・

2022/5/22
細呂木駅に到着・・・

2022/5/22
細呂木駅のホーム上屋・・・

2022/5/22
細呂木駅舎・・・
牛の谷駅方面へ向かって歩きます。

2022/5/22
水久保橋りょう・・・この辺の橋台はまだコンクリ・・・
この写真を撮っているときに、同様に鉄橋を撮っている若者と出くわし、
同業者かと思いましたが、さにあらず・・・ポケモンGOをしているのだそう・・・

2022/5/22
細呂木駅から県道153号線沿いに牛の谷駅方向へ1.5km程歩くと・・・
ご覧のような状況が見えてきます・・・
ポケモン氏はこの辺を何度も歩いていたが気が付かなかったとのことで、感激していました。
この奥には北陸本線があり、
そちらは現役で、備後東谷(ビンゴヒガシタニ)橋りょうと表示されていましたので、
ここでは、とりあえず旧備後東谷橋りょうとします。

なお、ネット上には、こちらを谷寺川橋りょうとした記述がありますが、
後述の理由により、否定されます。

場所はここ。

2022/5/22
旧備後東谷橋りょうの手前にはこのお墓があり、
その持ち主が周辺の草刈りなどして頂いているようです。
最近、見学・訪問者が多いとの事です。

2022/5/22
反対側から・・・
径間は2,722mm 奥行き(トンネル長?)は13,447mm

2022/5/22
こちら側は架線が無いことからも分かる通り、線路はありません。
草刈りは有難い・・・

2022/5/22
奥はコンクリ製、現役の北陸本線、備後東谷(ビンゴヒガシタニ)橋りょう、
さらに奥にも何か在りそうですが、時間も無く、行くことはしませんでした・・・

2022/5/22
墓守さんによると、この先にもう一つレンガ橋梁が在るとのことで、向かいます・・・
周辺は立派な蔵や木造建築・・・

2022/5/22
見えてきました・・・
こちらは現役の橋梁で、上を北陸本線が通っています。

2022/5/22
奥は途中でレンガからコンクリに切り替わっていて、
出口は直角に左に曲がっています・・・
恐らく複線化の影響と思われます。

2022/5/22
こちらが谷寺川(タニテラガワ)橋りょうであることを示す動かぬ証拠・・・
この紋所が目に入らぬかぁ・・・

2022/5/22
奥行きはレンガ部分が15,270mm コンクリ部が5,930mm・・・

2022/5/22
径間は、4,598mm・・・
植生の影響でレンガが大分傷んでいます。
橋梁の劣化を防止するためにも、草刈りは重要です。

2022/5/22
無事、レンガ橋梁二箇所の見学を終え、
牛の谷駅へ向かって歩きます・・・

2022/5/22
列車が来れば撮りまする・・・

2022/5/22
牛の谷用水橋りょう・・・
橋台はレンガ・・・橋はコンクリ・・・

2022/5/22
谷寺川橋りょうから2kmほど歩いて牛の谷駅へ到着。

2022/5/22
大聖寺駅方向の眺め・・・

2022/5/22
下り線は問題ありませんでしたが、
上り線は、カーブ外側のレールが、かなり摩耗しています・・・

レールと車輪は一点で接触するのが望ましく、
このように摩耗すると、フランジ全体がレールと接触することになるので、
走行抵抗の増加、さらなる摩耗速度の増大、脱線の懸念の増加など、
数々の不都合が生じます。

2022/5/22
EF510-514のカモレ・・・

2022/5/22
これに乗って、新高岡へ・・・

牛の谷 1639

金沢 1736 1739

高岡 1818 1847

新高岡 1850

2022/5/22
粟津では転轍手小屋を見る・・・

2022/5/22
高岡へ着いて気動車群を少し眺めて・・・

2022/5/22
高岡発・・・

高岡 1818 1847

新高岡 1850

2022/5/22
新高岡で降ります・・・

2022/5/22
ホテルの窓下に新幹線の新高岡駅が見えます・・・


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