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庭坂伏せ越し 下り ”つばさ” に乗ると、福島を出て数分後、庭坂を過ぎたあたりで、進行方向左側に
レンガの構造物が一瞬、見えます。農業用水が線路を横断する、伏せ越しなのですが・・・

今日は、以前から気になっていた、この伏せ越しを探索します。
列車本数が少なく計画立案が大変・・・
2021/04/18
今日は福島駅から・・・
腰痛にもかかわらず、あとでこの東口を全速で駆け抜けるはめに・・・

2021/04/18
駅構内に入りますと車止め・・・
奥のものはコンクリで固められていて、制走堤と化しています。

2021/04/18
第2種車止めですが、首都圏で見かけるものより若干簡素なので模型化し易い・・・
(第□種など、車止めの分類は鉄道辞典・日本国有鉄道編に拠っています。)

福島 714

庭坂 723

2021/04/18
庭坂駅に到着、ひとまずレンガ油庫に変わりが無い事を見て・・・

2021/04/18
帰りのバス停の在処、時間なども確認して・・・
いよいよ目的の、伏せ越しへ向かいます・・・

2021/04/18
新幹線が急勾配を駆け下ってくるのに気づきましたが、
腰痛のため走ることができず、
撮影ポジションに到達できなかった・・・

2021/04/18
本来ならこの風景の中で撮りたかった訳ですが、
次の列車を待っている時間はありません・・・
後でヒガミちゃんに、いい景色だったと云ったら、
「当たり前じゃん、国鉄時代から有名撮影地だ・・・」とのこと・・・

2021/04/18
少し歩いていると至近距離ですが、今度はお寺を背景に撮影することが出来・・・

2021/04/18
続いて各駅停車も来ました・・・
広軌感が著しいですな・・・NゲージやHOゲージを見ているようです。

2021/04/18
さらに進むと鷲神社というのが在りまして・・・左の立札には・・・

鷲神社参道石塔群・庭坂用水(下堰)
庭坂村肝煎芳賀太郎左衛門は、寛永元年(一六二四年)に水田開拓を前提に
天戸川から取水した灌漑用水堰開削を説き、住民の協力を得て用水路(上堰、
下堰)を掘削しました。下堰は横町から庭坂宿の街道を中央を流れ(街心堀)
て町尻に至り、それよりは灌漑用水として上野寺に流れ、庭坂宿の発展に大い
に寄与しました。

用水の建設が、この地域の発展に重要な役割を果たしたようです・・・
この事が、珍しいレンガ製伏せ越しとも関係ありそうです。

2021/04/18
大町踏切りへ到達・・・
しかし、新幹線に踏切があるというのも何とも違和感・・・

2021/04/18
大町踏切からは遠くに、レンガの伏せ越し施設を見ることができます・・・
300mmの望遠レンズで撮影・・・
ところで、新幹線なのに線路が、随分うねってますな・・・

伏せ越しとは、農業用水などが逆サイホンの原理で、
線路下や道路下(あるいは河川の事も)を横断する施設のことをいいます。
水位を高いまま維持することができるので、例えば線路の両側が高台であっても、
灌漑することが可能です。

伏樋(ふせび)の一種でもありますが、
逆サイホンの原理を利用しているのが、特徴的ですので、
ここでは伏せ越しの名称を用いることにします。

伏せ越しは全国各地で見ることができますが、ほとんどがコンクリ製で、
レンガ製は珍しく、当方はこの一箇所しか知りません。

2021/04/18
伏せ越しへ向かう途中、たたずまいのよろしい蔵が・・・

2021/04/18
要所を漆喰で仕上げています
下向きの鉤釘(用途・目的は色々な説があります)の根元には花びら模様の飾り・・・
ツブと云うそうです・・・

2021/04/18
到着しました。道路脇から目当ての伏せ越しが見えますが、
流路の取り付けなど、他はどうなっているのかは、藪が深くて判りません。
藪で見えない水路に落ちたりすると、大変な事になりそうなので、これ以上の接近は諦めました。

ちなみに、こういう場面に ヒガミちゃんが居ると、必ず「行かないと行かないと」とけしかけます・・・

2021/04/18
線路を挟んで、伏せ越しの反対側はコンクリ製になっていて、
流路は写真左手へ流れ下るようになっています・・・
以前、ここを訪れた事のある方の見解では
線路を複線化拡幅した際に、レンガ製からコンクリ製へ作り変えられた可能性がある。
とのことです。
なお、この区間の開業は、奥羽南線として1899年(明治32年)
複線化されたのは1968年(昭和43年)ということで、確かに時代的にも整合しています。

先程の大町踏切へ戻って、反対側へ・・・

2021/04/18
反対側からのアプローチを探していると、
丁度、老夫婦に出会い・・・なんという僥倖・・・
「ああ、それならうちの畑から撮るのが良いよ」と、
自身の経営されている、果樹園の中へ快く案内して頂きました。

2021/04/18
伏せ越しのこちら側は、コンクリ製で、
右側の桝から逆サイホンの原理で用水が湧き上がってくる仕掛け。
左の桝は、用水を一時貯留しておくものと思われます。
手前に用水が流れ下りますが、現在は使用されていません。

2021/04/18
用水が上がってくる部分を覗くと梯子が・・・
水位はかなり低くなっています
梯子は、保守で内部に溜まる土砂を排出する目的と思われます・・・
伏せ越しは、水質や流速にも依りますが、
内部に土砂が溜まりやすいのが難点ということです。
この辺りは水質が良いので、伏せ越しの設置が可能だったのかも知れません。

2021/04/18
庭坂駅寄りの角度から・・・アーチ部がよく判ります・・・
左手のコンクリの法面工事は、有難い事に、丁度、伏せ越しの手前で止まっています。

2021/04/18
望遠レンズで拡大・・・
小口面を焼過ぎとしたレンガを積んでいます。
長手面が表れる段、小口面が表れる段、と規則正しく繰り返される英国積みですが、
上から20段目辺りで、不規則になっていて、
それはアーチ部の迫(せり)受けの影響によるものと思われます。

2021/05/01
模型化図面を起こしてみました・・・
上から20段目辺りのレンガ積みの件は、図面を描いたおかげで気づくことができました。
一方、藪に隠れていた不明ヶ所が、気になって仕方がありません・・・
誰か調べてくれないかな?
レンガの寸法から推測した全高は 約4,545mm

2021/04/18
時折、列車も通過・・・

2021/04/18
案内して頂いた老夫婦の果樹園。桃の花だそうです・・・
収穫時期が楽しみ。豊作を願います・・・

2021/04/18
老夫婦にお礼を言って帰り道・・・通りかかったのを撮る・・・

2021/04/18
途中・・・ロープウェイのゴンドラのようなものを見る・・・
何処から持ってきた物でしょうか?

2021/04/18
歴史のあるものが色々残されています・・・

2021/04/18
石垣が積まれた水路・・・
古くから用水が重要な役割を果たしていたことが伺えます。

2021/04/18
庭坂駅へ戻って・・・レンガ油庫・・・
レンガの寸法などを計測します。
レンガの寸法から、伏せ越しの寸法を推測する魂胆なので・・・
レンガ寸法 約225×110×55mm(メジャー計測)
ちなみに油庫の外形寸法は、腰の高さで、5825×3970mm (レーザー計測)

2021/04/18
しかし、その手法は誤差も大きい・・・
例えば、左側の窓幅 920mm に対して右側 940mm
2% ぐらいの誤差は見込まなければなりません。

庭坂駅前 956(2分遅れ)
|福島交通バス
福島駅東口 1018(2分遅れ)
福島 1024
レやまびこ53
一ノ関 1122 1153

新田 1219 1311

次、福島へ戻る列車は 1346 なので、止むを得ず庭坂駅前からバスに乗ります。
福島駅東口に着いたのは2分遅れの1020・・・
ところが、バスの運ちゃんに50円足りないと言われ、
「ちゃんと払いましたよおー」と抗議しますが、
もめて新幹線に乗り遅れると困るので、余計に払おうとすると、
「払ったならいいよー」と、その無駄なやり取りでますます時間が無くなり・・・

急いで、福島駅東口の在来線改札を通過、
跨線橋へのエスカレーターを駆け上がり、
今度は西口へ向けて、長い長い跨線橋を走り、
新幹線改札を通過、
新幹線ホームへの長いエスカレーターを駆け上がり、
13番線、既に発車ベルの鳴っている”やまびこ53”に乗車、
この間4分、ぎりぎり間に合いました・・・
腰痛持ちに、大変な苦行を強いるバスは、大嫌いだあ・・・

会社は退社しましたが、お局さんが聞いたら、さぞかし大喜びしそうな事案となりました。
しかし、どうしてうちの周りには、人の不幸を大喜びするような輩ばかり居るの?・・・

2021/04/18
仙台を出て・・・

2021/04/18
こちらは何とか天候は持ちましたが・・・
弘前辺りに居たヒガミちゃんはこの後、雨に降られたようで・・・

2021/04/18
一ノ関に到着・・・

2021/04/18
構内には国際リニアコライダーの誘致ポスター・・・
一部の人の利益にしかならないオリンピックなどいいから、
このような事に税金を使って欲しい。

2021/04/18
広々した、一ノ関駅構内・・・

2021/04/18
貨物がよく通る・・・
かっこいい EH500 の一桁番台・・・

2021/04/18
お弁当を売っていたので仕入れました・・・

2021/04/18
一ノ関 1122 1153

新田 1219 1311

JR東日本で最も古い駅舎が建て替えられるという、
ヒガミちゃんの余計な情報インプットがあり、
新田駅にやってきました。
何と 1894年(明治27)に建築だそうです。

屋根は写真右手が入母屋、左手が切妻です。
左手は後に切り詰めたため切妻になったのか?と思いましたが、
そういう訳でもなさそうです。
待合室には新田駅の歴史写真の展示・・・

2021/04/18
跨線橋と併せて・・・
駅入口には案内板があり、次のように・・・

新田駅の駅名由来
奈良時代の「天平九年紀」(七三七)によりますと、陸奥国府
多賀城の支鎮として新田、中山、玉造、色麻、牡鹿の五柵が設け
られ、蝦夷からの攻撃防衛にあたったことが記されています。新
田の地名は、この柵の名前に由来します。
「ニッタ、ニイダ」というのは「ニタ、ヌダ」と同じ意味で湿地を
指す言葉です。「出雲風土記」の仁多郡の記述の中にも「こはに
たしき小国なり」とあり「雨多(にた)」と名付けた旨が記載さ
れています。
湿地には猪が来て、土に身体をなでつけて体臭を放散させる
ことから、猪を待ち伏せする事を「ニタ待ち」といいます。富士
の巻狩りで有名な仁田四郎忠常の「仁田」氏も、このような土地
から出た人だといわれています。

この地名の由来を受けて、明治二十七年(一八九四)一月四日、
東北本線が当地に開通した時、新田駅が開業いたしました。
◆参考資料◆
■仙台鉄道管理局「駅名ものがたり」

2021/04/18
早速、構造を観察・・・
後の時代のものと比べて頬杖の数が少なく、細身。
梁を渡す方向も違います。

現役最古の木造駅舎と伝えられる、亀崎駅(明治19年)と似ている部分もあります。

2021/04/18
梁の端が外壁の外に出ていて、化粧刻みが施されています・・・

2021/04/18
切妻側を見ます・・・垂木の一本が軒下に出ているのも、あまり見ませんが、
母屋材の傾きに注目
.は屋根勾配に沿った傾きですが
.は柱に沿って直立しています。ところが、
.はその中間の傾きのように見えます。
通常は1か3のどちらかに揃えるのが普通と思いますが、
棟梁のこだわりなのか美意識なのか、
それとも迷いなのか、あれこれ想像するのが楽しい・・・

2021/04/18
切妻側の庇の支えにも簡単な刻み加工が見られます・・・・・

2021/04/18
待合室・跨線橋・駅舎・・・

2021/04/18
鋼材による補強が入っていますが、待合室も良いものです・・・
建物財産表は見当たりませんでした。

2021/04/18
カモレの通過・・・待合室と共に・・・

2021/04/18
跨線橋。こちらも建物財産表は見当たりませんでしたが、
駅待合室の歴史写真展示によれば、昭和30年製のようです。
階段部の角窓の上下にも、三角形の採光窓が入る、珍しいスタイル・・・

2021/04/18
歴史があって、これほど面白味のある駅舎を建て直す価値が果たしてあるのか???
はなはだ疑問に感じつつ、新田駅を後にします。

新田 1219 1311

一ノ関 1338 1345
レ東北本線 盛岡行き
盛岡 1513 1537
レはやぶさ25
新青森 1643 1651

弘前 1727

2021/04/18
石鳥谷駅で・・・
駅名が面白いので車内から撮ったのですが、母屋材の配置、傾きを見ますと、
ここの2番目の母屋材も微妙に傾いているように思われます。
妻面から見える母屋材の傾きを次第に変えるのは、この地方の習慣かも知れません。

こちらの駅舎も調べないといけなくなりました・・・

2021/04/18
弘前着・・ここでようやくヒガミちゃんと合流します。

2021/04/18
弘前駅到着直前にレンガの煙突が見えたので、正体を確かめに・・・

2021/04/18
煙突を至近距離から・・・
焼き色の異なったレンガを組み合わせています・・・

2021/04/18
レンガの倉庫も・・・
右の屋根は、雪の重みで大分痛んでいるようです。

2021/04/18
凝った意匠の立派な建屋・・・

2021/04/18
表札を見てようやく判明・・・吉井酒造株式会社・・・
大量の米を蒸す工程があるので、酒造会社には煙突が在ることが多いです。
こちらの建物も軒を3本の頬杖で支えるなど、興味深いもの・・・

なお、弘南鉄道・中央弘前駅近くの旧吉井酒造煉瓦倉庫が観光施設として有名です。

2021/04/18
あとは、個室に区切られた居酒屋で、ヒガミちゃんと久々の宴会・・・


東禅寺山隧道  へ戻る・・・  次は 小坂鉄道  へ・・・

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