磐越西線 | 台風被害の影響で由利高原鉄道と男鹿線へ変更した翌日は、 磐越西線の蒸機と山都駅の油庫の再訪・・・ |
2016/09/03 | |
始発のやまびこ号で、仙台を発ちます・・・濃い霧に天候を心配しつつも・・・ 郡山で素早い乗り換え・・・ スイッチバック駅跡の旧中山宿などを見ながら・・・ 仙台 606 レ やまびこ202 郡山 646 653 レ 会津若松 808 |
2016/09/03 | |
磐梯山の雄姿・・・山体崩壊の跡・・・ ブラタモリから仕入れた知識・・・ |
2016/09/03 | |
会津若松への進入直前に見えた扇形庫・・・早くも蒸機の気配が・・・ |
2016/09/03 | |
会津若松で電車から気動車へ乗り換え・・・ 会津若松 814 レ 鹿瀬 1008 |
2016/09/03 | |
野沢駅でしばらくの待ち時間・・・ 赤べこのプランターがお出迎え・・・ |
2016/09/03 | |
野沢駅に掲示してあった開業当時の写真・・・ 1号機関車並の小さな機関車と、マッチ箱のような客貨車から始まったんですな・・・ 列車に比べて立派な鉄橋に少々違和感・・・ |
2016/09/03 | |
鹿瀬駅で下車・・・ |
2016/09/03 | |
駅前には架け替えられたトラス橋の一部が・・ 旧トラス橋は結合部が可動する、ピン結合トラス橋であった事が判ります・・・ |
2016/09/03 | ||
碑には工事の際の落橋の様子が描かれており、次のように記されています・・・ 活線横取り工法とは印象的な名称ですな・・・ |
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深戸橋りょうは、鹿瀬駅より約1キロメートル日出谷方の阿賀野川を横断する鉄道橋であり、橋けた は、大正2年米国で製作され輸入し架設されたものである。 大正3年岩越線開通以来以来70年余の間、風雨雪に耐え、多くの旅客、貨物の輸送を担い地域の発展に寄 与された。 架替えは、我が国でも大変めずらしい落橋による活線横取り工法で行われた。 国鉄工事関係者、報道関係者、および多数の村民等約800人が見守る中、長さ91メートル、重さ430 トンの旧橋けたは、14メートル下の阿賀野川に落下、轟音と共に大きな水しぶきをあげた。 新橋けたは直ちに横移動し架設されたが、これは昭和53年5月の妙高土石流災害の応急復旧けたと して、信越本線白田切川橋りょうに架設されたものを転用したものである。 この碑は、旧橋けたが長年にわたり、使命を果たしたことに感謝すると共に、新橋けたが今後末永くそ の任務を全うすることを祈念するものである。 昭和59年3月 日本国有鉄道新潟鉄道管理局 日本国有鉄道信濃川工事局 横河工事株式会社 |
2016/09/03 | |
鹿瀬駅から新津方面へ1kmほど歩き、 赤堀橋りょうという小さなトラフガーダーのあるところへ・・・ |
2016/09/03 | |
先ず気動車で様子見・・・ |
2016/09/03 | |
勾配標・距離標・曲線標のとりあわせ。 この場所は6.1‰の下り勾配で、煙は?といったところです・・・ 一人静かに撮影ができるものと思っていましたが、 蒸機の時間が近づくと、車鉄チャンが大挙押しかけ少々興覚め・・・ |
2016/09/03 | |
踏み切り警報機の予告音も無く、突然現れました・・・ それで出足が遅れ、これがファーストショット・・・ 意外な迫力でもって迫っています・・・ |
2016/09/03 | |
爆煙とまでは云えませんが・・・悪くない・・・ |
2016/09/03 | |
80万人達成のヘッドマーク・・・ しかし本音はヘッドマーク無し、金ぴかの飾り帯もいらない・・・ |
2016/09/03 | |
最後までピントが追従できるのはAFのありがたみ・・・ 鹿瀬駅では同様、おと休で北海道行きを諦め、磐越西線へ転進してきた人と お話しさせて頂きました・・・誰しも考えることは同じ・・・ 鹿瀬 1239 レ 山都 1336 |
2016/09/03 | |
蒸機の撮影後は山都駅へ・・・ 17年前のフィルムカメラ時代にも訪れていますが、改めて観察したいので・・・ |
2016/09/03 | |
HDRで撮影・・・扉の上の明り取り窓がエレガントな印象です・・・ 扉は近年の再製作と思われますが斜めの板の張り方が良い・・・ レンガは色調の異なる2種類を柱と壁に使用・・・ |
2016/09/03 | |
同じ磐越西線の馬下駅にもレンガ油庫が在り、 全体の大きさ、扉上部の明かり窓、背面の窓などは似ていますが、 レンガの色調、妻面の明かり窓、細部の装飾などに違いが見られます・・・ 磐越西線が新津方と会津若松方双方から延伸されてきたとき、 共に山都駅と馬下駅が終着駅だった時期があり、油庫が建設されたのでしょう・・・ それで、双方の往来の不便が、結果として形態や色調の違いに繋がったものと思われます・・・ |
2016/09/03 | |
ところで、この油庫には雁木(レンガを斜めに積んだ箇所)があり・・・ |
2016/09/03 | |
さらに切妻面にも傾斜に合わせて雁木が続いています・・・ 雁木を有する油庫は他に市振が在りますが、 切妻面の雁木は水平で、傾斜した雁木は他に知りません。 この様に大変珍しい構造なのですが、フィルムカメラ時代には全く気付かなかったとは情けない・・・ |
2016/09/03 | |
背面の様子・・・正面の明かり窓と合わせた窓が在ります・・・ |
2016/09/03 | |
さて、これから訪れる一ノ戸橋りょうとは反対側のそばの里センターへ・・・ 他に客は誰もいません・・・ |
2016/09/03 | |
天ざるをいただきました・・・ |
2016/09/03 | |
一ノ戸橋りょうへ向かう途中・・・何で栄えた建物でしょう? |
2016/09/03 | |
彫刻など凝った構造・・・雪除けでしょうか? |
2016/09/03 | |
一ノ戸橋りょうが見えてきました・・・ 以下に山都駅に在った案内版の内容・・・ |
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山都駅 一の戸橋りょう 一の戸橋りょうは、磐越西線喜多方駅と山都駅間を流れ る阿賀野川水系の一の戸川に架かる全長444.6m(橋台面 間長)の鉄道橋で、明治43年12月に供用開始され完成当時 は「東洋一」の規模を誇った歴史ある橋りょうです。 橋りょうの上部工は、支間長62.4mのデックトラス1連、支 間長25.4mのデックガーダー14連、支間長16.0mのデック ガーダー1連の全16連の橋桁で構成されています。 また、下部工は橋台2基、橋脚15基からなり、石を積み上げた 構造でできています。 |
2016/09/03 | |
いよいよ撮影です・・・ |
2016/09/03 | |
大逆光じゃんと、けなされるかもしれませんが、 この場所には、有名鉄道カメラマンも直前にジープでやってきておりました・・・同じ撮影意図だったのか? 煙と背景の雲の傾きが同じなのが少々気になります・・・ |
2016/09/03 | |
こちらは会心の一枚・・・ |
2016/09/03 | |
16:03ごろ・・・ |
2016/09/03 | |
蒸機の撮影が終わったら歴史的橋りょうの撮影・・・ さらに山都駅で2時間ほどのんびりとした時間を過ごしてから会津若松へ・・・ 山都 1822 レ 会津若松 1900 |
2016/09/03 | |
駅前の動輪の展示・・・本日は会津若松泊・・・ |
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