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蔵造川水路橋 ヒガミちゃんからTEL・・・このあいだの旅行どうだったの?・・・
トラブルとか無かったの?・・・と楽しそう・・・

お宅の望み通り、収穫も乏しくて散々だったわ・・・
ということで・・・今回も始まり始まり・・・
2022/9/4
今回は、青春18きっぷの残り2日分を使用・・・
高尾のこの電車に間に合わせるため、
\170円払って、西日暮里駅で千代田線から山手線内回りへ乗り換え・・・
しかしもう少し工夫して八王子で乗り換えるほうが良かった・・・
写真は乗り換えの高尾駅・・・

本日の行程
北柏 432

西日暮里 509 515

新宿 536 546

高尾 636 642

石和温泉 804 831

甲府 838 851

みどり湖 1041 1148

塩尻 1152 1419

小野 1431 1755

辰野 1805 1822

塩尻 1846

2022/9/4
ヒガミちゃんが石和温泉で珍しい車止めを見たとのことで・・・
石和温泉で下車・・・三角定規的な車止め・・・

2022/9/4
石和温泉駅前・・・

2022/9/4
石和温泉では早々に切り上げ・・・

石和温泉 804 831

甲府 838

2022/9/4
甲府駅で油庫の片割れを見て・・・

甲府 838 851

みどり湖 1041

2022/9/4
日野春駅では特急退避なので駅前に・・・

2022/9/4
日野春駅 跨線橋から・・・
E353系は初撮り。

2022/9/4
信濃境駅には縄文土器の展示・・・
当方は縄文土器にも関心があるので、機会があれば降りてみたい。

2022/9/4
青柳駅でも特急退避・・・

2022/9/4
で撮影・・・

2022/9/4
ようやくみどり湖駅に到着・・・

2022/9/4
駅の出入り口は、上下線別々で、道路に直接出ます・・・

2022/9/4
駅から東塩尻信号所跡へ向かいます・・・
距離は1km足らず・・・

2022/9/4
佇まいのよろしい蔵など・・・

2022/9/4
間近は舗装されているとはいえ、こんな上り坂・・・

2022/9/4
藪が酷くて電車もまともに撮れません・・・

2022/9/4
トンネルの方向。
予想はしていましたがあまりにも草ボーボーで、
何かの花粉を頭からかぶるし、
藪漕ぎをする気にもなれず、早々に探索を諦め・・・
やはり夏はダメですな・・・

2022/9/4
帰り道・・・

2022/9/4
デザイン的にも優れた平屋の蔵・・・
石灯籠が見えています。

2022/9/4
うねうねの水路・・・
水勢を減じる為?

2022/9/4
密生しているソバの花・・・

2022/9/4
塩尻へ・・・

みどり湖 1041 1148

塩尻 1152

2022/9/4
塩尻では安直に駅至近の蕎麦屋で・・・

2022/9/4
次の列車まで時間があるので、駅から500mぐらいの塩尻市役所に在る
D51 155 を見学に・・・

2022/9/4
ここの機関車の特徴は、何んといってもキャブ換気装置・・・
トンネルに入った際、線路面近くの清浄な空気を機関士席に送り込みます。
空気圧搾機のフィルターと同じようなものが先端に付いています。
圧搾空気で気流を発生させる機構がキャブの前に在ります。

2022/9/4
機関士席、逆転器レバーの下辺りにある丸い筒から、
有毒な一酸化炭素等を含まない空気が、機関士顔面に向けて噴射されます!!!
機関士はいいけど機関助士は?

2022/9/4
第一動輪にはフランジに油を塗布する仕掛け・・・

2022/9/4
少々嘘っぽい腕木式信号機を併せて・・・
現役時代は集煙装置を装備していました。
案内板には次のように・・・

蒸機機関車「D51155」
このD51155蒸機機関車は”デコイチ”という愛称
で親しまれ、昭和14年2月に日本車両株式会社で製造
された日本の代表的な蒸機機関車です。当初、東海道線、
米原機関区へ配属され、その後、大垣、上諏訪、長野、
稲沢第一、中津川の各機関区を経て昭和48年2月まで
実に34年間の長きにわたって2,158,706kmを
走行し、その使命を終了しました。
特に昭和25年5月より昭和45年1月までの間、上
諏訪、長野両機関区に配属され、中央西線、篠ノ井線、
信越線等、県下の主要線路で20年間を走りつづけ、客
貨輸送を始め、地域の産業、経済、文化等の発展のため
に多大な貢献をしましたが、国鉄の近代化に伴って、昭
和42年2月廃車となりましたので、このなじみ深いD
51155の貸与を受け、庁舎の一画に設置し 学校教
育、社会教育等に役立てるべく展示したものです。
D51 type Steam Locomotive
昭和48年9月 塩尻市

2022/9/4
ようやく小野駅へ向かいます・・・
レンガのトンネルポータルが続きます。

塩尻 1152 1419

小野 1431

2022/9/4
目的地の蔵造川水路橋・・・
レンガ橋のはずですが、
こちら側はコンクリで上塗りされているようです・・・

2022/9/4
小野駅へ到着・・・

2022/9/4
跨線橋は鋳鉄の橋脚、レーシングの階段なので少々撮影・・・

2022/9/4
小野駅前・・・

2022/9/4
蔵造川水路橋までは旧道を行きます・・・
それで蔵の写真を撮りながら・・・

2022/9/4
色々蔵の写真・・・

2022/9/4
GPSを頼りに伊那街道を北上します・・・
ですが、水路橋近くになっても接近する手だてが判りません?
暫くして線路の東側からアプローチするのでは?と気が付き・・・

2022/9/4
この廃車体横から線路東側に廻り込みます・・・

2022/9/4
踏切を渡ると、遠くに水路橋が見えました・・・

2022/9/4
めがね橋の案内板・・・もう少し手前に・・・
伊那街道沿いに立ててくれー

2022/9/4
お立ち台が在りましたが・・・

2022/8/15
お立ち台からはこんな景色・・・
付近の案内板には次のように・・・

蔵造川(ぞうぞうがわ)水路橋
明治維新から30年を経た1900年頃の日本は、政治・経済・
文化等のあらゆる面で、近代化が推進され、その基盤となる鉄道
の建設も全国で進められていた。東京から塩尻、篠ノ井を経て日
本海(直江津)に至る幹線の一環として、中央東線(辰野経由)
も多大な困難を乗り越えて進められ、善知鳥(うとう)トンネルの完成をも
って全線開通した。明治39年のことであった。善知鳥トンネルは
急勾配(標高差が80m)に加え、地盤は悪く、湧水も多く、4年
近い歳月を要した難工事であった。
この鉄道線路・善知鳥トンネル建設に伴い、遮断されることに
なった川の流れを維持し、鉄道の安全を図り、農業用水を確保す
るために建設されたのが、この「蔵造川水路橋」である。
当時の最先端技術を駆使してのレンガ造り、五連のアーチ(現
在、二連は土中に埋まり、見えるのは三連のアーチ)からなる地
上高さ9.8メートルの堂々たる水路橋で、「めがね橋」の愛称で地
元に親しまれてきた。積雪と凍結の厳しい山地(標高約900m)
にありながら、風雪に耐え、長くその役割を果たし、北面に補修
はあるが、今なお、当時のレンガ造りの雄姿を残している。

明治時代、こうしたレンガ橋は、全国で数多く造られたが、

日、残っている、唯一の水路橋
で、平成27年度に公益社団法人土
木学会の「選奨土木遺産」に選定された。
今日、水路橋としての重要さは失われているが、百年以上にわ
たり、その機能を果たしていた明治期のレンガ焼成・築造技術に
は驚嘆するものがあり、未来に残していくべき大切な歴史遺産
と言える。この施設は東日本旅客鉄道(株)が所有している。
なお、この水路橋の近くに、蒸気機関車時代の善知鳥トンネル
内における旅客列車の安全を確保するため、トンネル内の煙を排
出するための施設 排煙所があったことを付記するものです。

(図)明治39年竣工図 全長30m
(写真)蔵造川水路橋 撮影 明治39年頃 鉄道供用前の水路橋写真
(信濃国二之宮矢彦神社所蔵)

筆者注:文中、「今日、残っている、唯一の水路橋」とありますが、
レンガ水路橋としては一径間ですが、
山陽本線:三石~上郡間、美祢線:美祢~重安間などに現存しています。

2022/9/4
接近してもこんな景色・・・

水は流れていません。水路にはゴムのライニングが施されているようです。
レンガは濡れた状態で凍結すると、劣化が早まるため、その対策と思われます。

2022/9/4
折角なので電車を待って撮りましたが・・・
屋根しか写りません・・・
ここも草の無い時期に訪れるのが正解のよう・・・

2022/9/4
東塩尻信号所跡 蔵造川水路橋 を失敗し、散々な思いで小野駅へ引き返します・・・
ヒガミちゃんが大喜びする事態に・・・
旧道を歩いたり、道を間違えたりしたので、往復12kmぐらい歩いたかも・・・

途中、筑摩書房創立者の古田晁記念館・・・
職業柄、ちくま学芸文庫はよく読んでましたが・・・

2022/9/4
小野駅に戻ってまた跨線橋の観察・・・

2022/9/4
電車の進入・・・

2022/9/4
一旦、辰野へ・・・

小野 1431 1755

辰野 1805 1822

塩尻 1846


2022/9/4
もう動きたくないので、同じ経路で塩尻へ戻ってきました・・・
方向幕は既に辰野。

本日は塩尻泊・・・


国分橋梁 へ戻る・・・ 次は 中央西線 へ・・・

鉄道油庫 へ戻る

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