磐越東線 | おと休5日目・・・一旦帰宅し、常磐線竜田駅近く、井出川の珍しい橋脚を見学した後、 いわきから磐越東線で郡山へ抜けます。磐越東線では思わぬ発見・・・ |
2021/09/11 | |
柏駅で見る16000系電車・・・ 正面非常扉が中央にある1次車・・・ ちなみに1次車はNゲージで製品化されてないようです。 北柏 515 レ 柏 518 530 レ 取手 543 549 レ 土浦 613 637 レ いわき 914 922 レ 竜田 956 |
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佐和駅の油庫類似の建物は、 震災後、屋根瓦が脱落したままで、破損劣化が進行中・・・ 直してくれないかな? |
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できるだけトンネルポータルを撮っていきます・・・ 小木津駅~十王駅間、折笠トンネル・・・ |
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磯原駅~大津港の・・・ 二ツ島トンネル |
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久ノ浜の油庫・・・ |
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竜田駅で降りて歩きます・・・ |
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途中、豪華な祠・・・ |
現行線をくぐると隣に見えてきました・・・ |
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この辺りでは珍しい、角が丸い橋脚です・・・ しかし、ブッシュが酷いですな。冬に来た方が良いですな・・・ 4月に車窓から見た様子はこちら・・・ |
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レンガはR部も含めて一般的な英国積みです。 レンガの寸法は、約220×107×55mm・・・ 赤矢印の間隔は2,950mm・・・ |
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付近の石積みの様子・・・ |
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咄嗟に撮る・・・ |
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ここから数百メートル先に行くと、 常磐線で最も絢爛豪華な、旧金山隧道があるはずですが、 藪も深そうだし、そもそも柵もしてあるので、今回は断念・・・ 公開日など設けてもらって、いつか行けるといいなあ・・・ |
橋脚の反対側に向かいますが、水路などに阻まれて、 色々大回りしなければなりません。 楢葉北小学校の廃校跡・・・二宮金次郎の像だけが残されて・・・ |
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そんな中、まんじゅう屋さんに出くわし・・・ |
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茶まんじゅう20個詰めを購入・・・ 店内には昔の製菓道具が展示されています・・・ |
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対岸の橋脚に到着・・・ こちらもブッシュが酷い・・・ |
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さっき撮った対岸の橋脚を見ます・・・ |
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また特急の通過・・・ |
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竜田駅へ戻ります・・・ 現代的なデザイン・・・ 竜田 956 1243 レ いわき 1316 1321 レ 小野新町 1404 |
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たたずまいのよろしい蔵・・・ |
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赤井駅の待合室・・・ |
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東北電力 夏井川第一発電所・・・ |
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こちらの蔵は置き屋根・・・ |
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最後尾に陣取り・・・滝ノ平トンネル・・・ |
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田原井トンネル・・・ 磐越東線のトンネルポータルのデザインはほとんど同じようでした・・・ |
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小野新町駅に到着・・・ |
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ホームから見る小野新町駅本屋・・・ |
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駅跨線トンネルの出口・・・ |
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駅前案内板には次のように・・・ 小野小町が関係している様です。知らんけど・・・ 小野篁(おの の たかむら)館跡 「小野篁がこの地に下向したときに住んだといわれる館跡。」 平安初期、嵯峨帝の弘仁六年(西暦八百十五年)小野岑守(おの の みねもり)は 陸奥守として長男篁とともにこの地を開発し、小野六郷を定めて 中央文化を導入し、産業を指導し、経済を教え、学問を広め 大いに殖産興業に努めたという。 館は、初め矢大臣山麓にあったが、後に地の利と生活の便を考慮 し谷津の地の夏井川畔の小高い丘に館を造って居を移したので、 この館を山麓のそれに対して、平館(いらやかた)(現在地名の読みはひらたて) と読んだと伝えられている。また郷民は館のある地を「都」または、 「谷津の都」と呼んでいたが、後世、都とは天皇の存す処故、恐れ 多いとの理由から「下都」と呼称され現在に至っている。 館には、各郷の長者の女(むすめ)が出任していたが、その中でも 最も優れた美貌の娘、愛子との間に一女子をもうけた。それが 平安の美女、六歌仙の一人、小野小町であると伝えられている。 小野篁館跡の変遷 その昔、小野篁館跡は篁の妻「愛子(めつらご)」の 墳墓といわれ、小高い丘陵にあった。その丘に愛子を 祀った小さな祠(ほこら)があったが、明治の初めに なくなり、明治十八年の岩城道路改修により丘陵その ものも削られてなくなってしまった。 その後も大正四年の小町新町駅開業に際し、館跡の 中心部に駅プラットホームが造られることになり、館跡の 景観は大きく変貌することとなった。 現在、館跡にあった愛子の祠は駅裏の谷津作字鬼石の 山中に移され「愛子神社」として祀られている。 また、昭和六十三年より始まった小野町商工会青年部の 「復活小町キャンペーン」の一環として、小野町観光協会 の協力のもと平成四年五月に「小野篁館モニュメント」 を駅裏に建立。 そして平成二十一年に元の 篁の館があった丘陵地である この地に同モニュメントを 移転し現在に至っている。 (黒字)は当方による追記 |
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駅周辺を一通り巡って・・・ |
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構外から見る待合室・・・ |
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駅へ戻って・・・ |
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駅構内で・・・ すっかり珍しくなった駅池と金魚・・・ |
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待合室ですが・・・ |
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待合室内部・・・ 屋根を支えるトラスは、中央の柱・キングポスト(真束)が無い珍しい構造。 |
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軒飾りが凝っています。 この形をよく見ておいてください・・・ |
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頬杖も凝っています・・・ こちらの軒飾りは、先が欠けてしまっています・・・ |
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この気動車で郡山へ・・・ 小野新町 1404 1532 レ 郡山 1625 |
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隣駅の神俣駅で、ふと待合室を見ると、軒飾りが先程とは違っています・・・ こちらは丸い軒飾り・・・ 小野新町駅とほとんど同様な待合所ですが、下車駅の区別が付き易くするためにこうしたのか?・・・ ホームのパージボードのように、先を矢型にした幕上の板も見えます。 なお頬杖は小野新町駅と同様のようです・・・ こちらも訪れて調査しなければなりませんな・・・ |
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郡山へ・・・ |
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郡山へ・・・ |
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郡山も近くなり鉄橋を渡って・・・ |
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郡山のホームから見る転車台・・・ 工場内に入れてもらわないと間近で撮影できなさそうです。 転車台の牽引機が傾いているのはよく見る・・・ |
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「やまびこ216号」で上野へ・・・ 郡山 1625 1640 レやまびこ216 上野 1810 1836 レときわ75 柏 1851 1854 レ 北柏 1857 |
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座席に落ち着いて駅弁を・・・ |
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上野から「ときわ75号」・・・柏駅で下車、 北柏駅で、秋口のおと休行程ようやく終了・・・ |
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