九州鉄道記念館 | 四国・九州の旅3日目・・・今日は、今津駅の木造油庫、九州鉄道記念館・・・ そして平成筑豊鉄道を経て、北九州空港から帰投・・・ |
2019/10/07 | |
大分駅を始発で出ます・・・ 大分 534 レ 柳ヶ浦 645 709 |
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柳ヶ浦で乗り換えのため途中下車・・・ 広大な構内を跨線橋から・・・ |
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平凡な柳ヶ浦駅ですが・・・ |
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駅前の蘇鉄には・・・ 蘇鉄は語る 当駅舎の西方約一キロの地に、かって、海軍の飛行場 がありました。名付けて宇佐海軍飛行隊。太平洋戦争末 期特攻基地となり、153名の特攻が出撃、沖縄の海に散 華している歴史的聖地です。航空隊が開隊したのが昭和 十四年十月一日、そのとき地元商店会で組織する物品納 入業者の団体「糧友会」の人たちが、庁舎の庭に寄贈したの がこの蘇鉄です。昭和二十年四月二十一日、B29の爆撃 で航空隊は壊滅。そのとき生き残ったこの蘇鉄が、戦後、 瓦礫の中におきざりにされていたのを商店会の有志たち が現在地に移植、戦争を伝える唯一の生きている遺産 です。 柳ヶ浦アーバンデザイン会議 九州は沖縄戦の前線基地となったため、 このような史跡が多くあります・・・ 柳ヶ浦 645 709 レ 中津 728 751(特急遅れ接続の為813発) |
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ところが今津駅で降りるつもりが、 スマホを見ていて乗り越してしまいました・・・ そこで、東中津で下車せずに、中津まで行き、折り返しますが・・・ 特急の遅れの影響で、接続のため各停も遅れ・・・ ヒガミちゃんによると特急は犬に衝突したとのこと・・・ 中津 728 751(特急遅れ接続の為813発) レ 今津 759(807着)911 |
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見目麗しい木造駅舎の今津駅・・・ |
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木造油庫が在ります・・・ 植栽も油庫の良いアクセントに・・・ |
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背面・・・ |
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建物財産標 鉄 停建第10号 危険品庫1号 M30.9.25 危険品庫の表記から油庫と確定できます・・・ ちなみに、今津駅は、1897年(明治30年)9月25日、 豊州鉄道時代に設置されました。 その割には傷んでいないので、 後の改修の手が入っているのかも知れません。 |
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駅舎側から見ると・・・ |
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鬼瓦には、瞳のような紋様が・・・ |
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木造油庫と木造駅舎・・・よく似合っています・・・ 民間の豊州鉄道が設置した割には、国鉄スタイルですな・・・ |
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今津駅を後にします・・・ 今津 759(807着)911 レ 中津 920 939 レ 小倉 1046 1055 |
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途中、椎田駅にも小さな木造倉庫が並んで2棟・・・ |
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小倉駅にて・・・ 中継信号機の割には立派な支柱・・・ 信号機が両面、2個在るからか?・・・ 小倉 1046 1055 レ 門司港 1109 1340 |
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小倉からは赤煉瓦倉庫などを見ることが出来・・・ この辺り線路が入り乱れて独特の雰囲気の門司港への路線・・・ |
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門司港駅へ進入・・・ |
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門司港駅の動輪やら腕木式信号機やら・・・ 左の石柱は0哩標・・・ |
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改札事務所・・・ |
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旧出札所など・・・ |
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駅舎は重要文化財・・・ |
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ドーマー部・・・ |
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門司港レトロの建物を少し見学・・・ 門司三井倶楽部・・・ |
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ロイズ保険会社関連の建物のようです・・・ ホームリンガ商会・・・ |
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その銘板・・・ |
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関門海峡と人力車・・・ |
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踏切を通過する、めかり線の列車・・・ 今日は平日なので、本来は運行していないはずですが、 本日、一本だけの団体の特別列車のようです。 JR線、旧国鉄線などの全線踏破を目指しているので、 また、この線の為に乗りに来なくてはなりません・・・ |
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動輪が在りますが解説も無いので・・・ 何の動輪だか判りません。 |
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その動輪にはよく判らない刻印が・・・ |
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動輪の近くには電車が並んで・・・ |
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いよいよ九州鉄道記念館・・・ 高いところに在るのが旧九州鉄道本社屋・・・ |
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先ずは9600とC59がお出迎え・・・ |
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まずは旧九州鉄道本社屋のレンガ鑑賞・・・ 旧九州鉄道本社屋 (写真) 1888年(明治21年)、九州最初の鉄道会社として「九州鉄道」が設立されました。 この会社は1889年(明治22年)に博多~千歳川仮停車場間の営業を開始し、1891年(明治24年) に門司(現在の門司港)~高瀬(玉名駅)を開業した時点でここを起点と定め、ここから九州各地 への鉄道網を形成しました。 当初は博多に仮本社を置いていましたが、門司駅の開業と同時に本社として建てられたのがこの 建物です。以後、鉄道院、鉄道省、日本国有鉄道、九州旅客鉄道株式会社などと名前は変わりま したが、一貫して鉄道の中枢機能を担う建物として使われてきました。 門司港レトロ地区で保存されている建物の中でも、古いもののひとつです。 所有者の変遷(抜粋) 1891年(明治24年)4月 九州鉄道会社 1907年(明治40年)7月 帝国鉄道庁九州帝国鉄道管理局 1908年(明治41年)12月 鉄道院九州鉄道管理局 1920年(大正9年)5月 鉄道省門司鉄道局 1950年(昭和25年)8月 日本国有鉄道門司鉄道管理局 1987年(昭和62年)4月 九州旅客鉄道株式会社 |
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焼き過ぎレンガの組み合わせ・・・ 雁木となっている部分もあります・・・ |
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基礎部は英国積み、その上の壁部はフランス積みです。 床下換気口上部も、扇型に正しく施工されています・・・ |
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旧九州鉄道本社屋の中には九州鉄道の復元客車・・・ 売店でグッズを買い求めるも、販売員がおしゃべりに夢中で対応悪し・・・ めかり線のダイヤを訪ねるも、めかり線って何?という有りさま・・・ (門司港レトロ観光線もしくは、トロッコ潮風号と云わないと伝わらない) 大宮と比べれば大分堕ちるのはやむを得ないか・・・ |
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キハ07は模型で持っている事もあり、細々と観察・・・ 内装を作らなければなりませんから・・・ |
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客席・・・塗色は注意深く観察・・・ |
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網棚の支え・・・ 一寸した造作が楽しい・・・ |
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運転席はこうなっています・・・機械式変速機だったので、 バスと同じようなクラッチペダルとシフトレバー・・・ |
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行先サボは 今は、廃線となってしまった宮守線の肥後小国・・・ |
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C59も重点的に観察・・・ |
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一部は銅管・・・ |
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再び門司港駅へ戻って・・・みどりの窓口に在る飾り壁・・・ 写真では鏡のように見える・・・ 旧一二等待合室 First & Second class waiting room 飾り壁 WALL ORNAMENT 当時、鉄道車両は1等級から3等級までわか れていました。この部屋はそれらのうち1等 と2等車両に乗車する方の待合室として使用 されており、一二等待合室と呼ばれていまし た。一二等待合室はベイマツ材にワニスとい う塗料を塗った造作でつくられているなど、 この部屋の向いにある三等待合室よりも壮麗 に装われています。 そして特に際立っているのが、この部屋の4 面の壁に見られる飾り壁です。飾り壁とは石 膏でつくられた額縁の中を黒漆喰で塗り頂 上にはペディメントを設えた室内装飾です。 この飾り壁は、2012年から行われた保存修理 工事において壁の中から発見されたものです。 当時の一二等待合室の格式の高さをうかがえ ることから、今回の工事では当初の黒漆喰の 一部を残して、当時の意匠を復元しました。 (写真)解体中の状況 (写真)漆喰壁の中から現れた飾り壁 (写真)一部を残して復元 |
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出札口付近・・・ |
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出札口・・・ |
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貴賓室への入り口を探します・・・ 少し判りにくいところに入り口がある・・・ |
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階段の手摺りの擬宝珠・・・ |
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貴賓室入り口の蝶番・・・ |
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貴賓室・・・ カメラのAWBが迷ってますが、修正も面倒なので、そのまま掲載・・・ |
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ホームへ入って・・・ 隣のホームでは婚礼の撮影・・・ |
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木とレールを組み合わせています・・・ このような組み方も例が無いような・・・ |
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架線柱もレトロ・・・ |
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門司港駅を後にします・・・ 門司港 1109 1340 レ 小倉 1354 1422 |
写真提供 ヒガミちゃん | 2019/10/07 |
そうこうしている内、ヒガミちゃんがこのような写真を送りつけてきて・・・ 八幡製鉄所の専用線のようです・・・ |
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小倉駅で食事の時間を捻出・・・ 名物 かしわうどん・・・ 小倉 1354 1422 レ 田川伊田 1512 1530 レ 源じいの森 1550 1650 |
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国鉄小倉工場の栄華を偲び・・・ |
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採銅所駅・・・ 以前訪れた時には窓は塞がれていました・・・ 今は開いています・・・また、訪れたいところ・・・ |
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田川伊田着・・・ |
2019/10/07 | |
田川伊田駅・・・以前在った駅前の建物はきれいさっぱり無くなっていました・・・ さりとて、これから再開発といっても、炭鉱が無くなった今、 賑わいのある街には、ならないのでは? 駅前再開発に失敗した地方都市はごまんとあります。 |
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平成筑豊鉄道へ入って・・・勾金駅・・・ レンガの油庫は健在でした・・・ |
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源じいの森駅で下車・・・ この先の特徴ある断面のトンネルが少し見えます・・・ |
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近くには大変珍しい、青い車掌車の展示があります。案内板には・・・ 日本初の100km/h で走行ができる車掌車「ヨ9001」 日本初の100km/h で走行ができる車掌車として、1968年 (昭和43年)に日本国有鉄道(現・JRグループ)で開発されました。 台車の改良など、さまざまな試験ののち、筑豊地区の石炭列車に 連結されて活躍していました。 高速走行用のため、車掌車としては唯一の青色に塗られています。 この車輛は2両あった仲間のうち、唯一現存している車両です。 ------------------------------------------------------------------- 自重 9.9t・全長 6.18m・幅 2.67m・高さ 3.63m |
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高速走行の為、ミンデンドイツ台車を1軸にしたような・・・ |
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第二石坂トンネル・・・接近音が聞こえないので、カメラは構えたまま待機・・・ この瞬間を撮るのは疲れる・・・ |
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案内板には・・・ 九州で一番古い 石坂トンネル 第一トンネル(延長33.2m) 第二トンネル(延長74.2m) 豊州鉄道は、北九州と田川の産炭地を結ぶ鉄道として会社を設立、1895(明治28)年に行橋~伊田間を開業 しその後添田まで延長、この間1901(明治34)年に九州鉄道に合併され、のちに国鉄田川線となった。この区 間は将来の複線化を念頭に建設されたため、2本あるトンネルはいずれも複線断面で建設されたが、結果的には 単線で使用したため今日に至っている。この2本のトンネルはまた、九州最初の鉄道トンネルとして記念すべき 赤レンガの芸術作品であり、建設当時の姿を良好に保っている。構造と断面は隣接したトンネルでありながら両 者で異なっており、第一石坂トンネルは側壁と迫石の下半分が素掘りの岩盤となっているほかはすべてレンガ構 造で、パラペットのレンガには装飾的技法が見られる。一方、第二石坂トンネルの覆工はすべてレンガ積である るが抗門は整層切石積でできている。断面はどちらも独自のもので第二石坂トンネルは完全な複線断面である が、第一石坂トンネルは山側の岩盤が未採掘のまま残されている。なお、田川線はJR九州を経て、1989(平成 元)年10月1日に第3セクターの平成筑豊鉄道へ経営が移管され、今日に至っている。 九州鉄道建設にあたって、技術顧問としてドイツ人でプロシア国有鉄道機械監督の職にあったヘルマン・ルム シュッテル(Hermann RumScho”ttel:1844-1918)を招き(明治20年来日~27年帰国)技術指導を受けた。 また、豊州鉄道は、ヘルマン・ルムシュッテルと共に働いた野辺地久記(後帝国工科大学教授(現東京大学工学部 :1863-1899)の設計により造られた鉄道である。 明治の日本を代表する工学博士野辺地久記が設計したこの赤レンガのトンネルや鉄橋は世界に誇ってよい構造 物といえる。 [図]第一石坂トンネル断面 [図]第二石坂トンネル断面 横着にも、複線分あるうち単線分しか掘っていないという、 第一石坂トンネルも見てみたいものです・・・ |
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付近のレンガ造りの今枝川橋梁・・・ |
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石坂渓谷・・・ 風情ある橋脚はトンネルと同様、複線分在ります・・・ 【交通の要衝 石坂渓谷】 石坂渓谷には、江戸時代からの開発と水運で栄えた記録が残ります。鉄道のない 時代、水運は年貢米などを運ぶ手段として重要でした。また、江戸時代の中ごろか ら始まった石炭の流通で、田川郡の石炭が小倉藩の奨励を受けるようになりました。 このようなことから田川郡からの物資を迅速に運べる水運の整備が高まっていまし た。 文政年間(一八一八~一八二九)小倉藩の郡代(家老に次ぐ要職で民政担当)で あった杉生十右衛門(すぎおじゅうえもん)は、田川郡と京都郡の境の難所である この地に、船の往来ができるよう工事をしたそうです。ですがこれは完成にはいたら なかったとあります。その後文久元(一八六一)年、当時下赤村の庄屋であった 帆足通蔵(ほあしつねぞう)が有志とともに、十右衛門の意志を受け継いで工事を 完成させました。 江戸の終わりから明治初めにかけて、石坂での水運の記録がいくつかあります。 その記録のなかには、赤村の油須原付近からみやこ町の崎山まで長さ二千間(約 三,八キロメートル)平均幅四間(約 七、二メートル)と記したものもあり ます。当時の船着場はどの辺りかはっ きりしませんが、この付近もそのひと つと考えられています。 明治中ごろに鉄道が開通し、船の数 は次第に減少、現在ではその姿を見る ことはなくなりました。このような歴 史ものがたりがこの地にはあります。 石坂渓谷は赤村そして、田川の水 運という歴史を刻んだ文化的景観です。 平成二五年三月 赤村 赤村教育委員会 (写真)昭和二十年代に今川を行き来する川船(橋本正勝氏提供) |
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隣駅の崎山へ・・・ 源じいの森 1550 1650 レ 崎山 1655 1736 |
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崎山着・・・交換列車の出発・・・ 毎日、列車に乗れて・・・ 一人だけで駅に降りれるなんて・・・何と幸せな女子学生・・・ 本人はその幸せを感じているのでしょうか? |
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駅には信号所のような建物が付帯・・・ 運炭列車が行き交っていた頃には、列車交換などで 忙しかったのでしょう・・・ |
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崎山駅前・・・なんと右に浴室が付属しています・・・ |
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旧豊洲鉄道建造物群とあり・・・どのようなものか気になります・・・ |
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鉄道の浴室としては小さなものですが、 ここからも、かっての栄華が偲ばれます・・・ |
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建物財産標があります・・・ 建物財産標 鉄 浴場 建第4号 崎山 駅浴場 昭和39.3 暗くなってきました。崎山駅を後にします・・・ 崎山 1655 1736 レ 行橋 1758 1809 |
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行橋着・・・少々、グロテスクな駅前・・・ |
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朽網で下車・・・バスに乗り換え・・・ 朽網 1820 1841 ⋮ バス \410- 北九州空港 1901 2055 |
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北九州空港で 腰痛で少々動けなくなり・・・ この後、ようやくヒガミちゃんと合流して帰投・・・ 北九州空港 1901 2055 ⋮ JAL378 羽田空港 2225 ⋮ 羽田空港第一 2245 レ 浜松町 2302 2304 レ 上野 2318 2327 レ 柏 2356(2354)3分遅れ レ 北柏 (2357) |
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