指宿・枕崎線 | 九州2日目は、指宿枕崎線の踏破と、南薩鉄道の廃線跡をバスで辿ります。 いつものようにヒガミちゃんは放っておいて、始発から行動開始・・・ |
2018/06/10 | |
指宿枕崎線は鹿児島中央駅の1番線から発車・・・ 指宿枕崎線のゼロ距離程・・・ |
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気動車が入線・・・ 鹿児島中央 451 レ 山川 603 613 |
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列車は山川止まりなので・・・ 大雨の中、一旦駅前へ出てみますが・・・ |
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今までに経験したことのないような、 ものすごい集中豪雨の中・・・ 列車が入線してきました。屋根に上がる水しぶき。 こちらではこの程度の雨は普通なのか? |
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山川駅まで乗ってきた気動車と、これからさらに先へ行く気動車・・・ 屋根の無いホームは少々困る。 山川 603 613 レ 西大山 623 |
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JR日本最南端の駅西大山で下車。 雨は上がりましたが、背景の開聞岳は未だ曇り。 当方、鉄道の無い地域には、興味がないので、 日本国内で、これより南へ行く事は、一生無いでしょう。 |
2018/06/10 | |
上り列車の時間を確認せず・・・ 写真も撮り損ねて無駄に時間を費やす。 開聞岳、少しは、はっきり見えてきました。 |
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下り列車が来ました・・・ 西大山 623 743 レ 西頴娃 807 この頃、ヒガミちゃんはMessengerで、呑気に、 順調?雨降ってる?これからホテルを出る。 と・・・ 今頃、出るんかいな?・・・ |
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西頴娃(にしえい)駅に着いて対向列車の進入・・・ |
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対向列車と余裕たっぷりの交換・・・ 通学の学生は始業時間まで間があるのか、 中々、学校に向かわず列車の中や待合室で、グダグダ・・・ |
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そうこうしている内、対向列車はようやく発車していき・・・ |
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西頴娃の駅・・・ |
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指宿へ引き返します。 途中見える奇岩。マグマ嵌入の結果でしょうか? ネットで調べましたがよく判らず。 西頴娃 807 851 レ上り 指宿 926 |
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指宿駅前、椰子の木など南国の雰囲気・・・ 指宿 926 1010 レ 宮ヶ浜 1018 ヒガミちゃんから、鹿児島は全く雨なしだ。 とよく判らん自慢。 |
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宮ヶ浜へ到着・・・海が近くです・・・ |
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宮ヶ浜の待合室には、いくつかの写真展示・・・ 元、駅長だった方が今でも、駅と周辺の整備をしているようです。 指宿町西方本田製材所と附近風景 昭和初期の頃の宮ヶ浜海岸風景(権現坂を登るSL列車) 宮ヶ浜 1018 1027 レ 山川 1039 このころヒガミちゃんからは 加世田行きの特急バスに乗った。 |
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再び山川へ・・・雨も上がって撮り易すく・・・ |
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落石覆いへ入るのを見届けます・・・ |
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再び山川駅前へ・・・ 日本最南端の有人駅とありますが、駅員の姿は一度も見かけず・・・ 左には、ぶじ蛙の碑 わたくしは、その昔天照大神の お使いとして、あちこち道案内 したと伝えられる事から、旅行 安全・交通安全の守り神として 広く信奉されています。 皆様方のつつがないご旅行を、 お守り致します。 平成三年一月 ぶじ蛙 山川福祉会 山川 1039 1146 レ 枕崎 1252 1345 |
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ヒガミちゃんからは、画像と共に、 枕崎行きに乗った。 |
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枕崎へ到着・・・ ここで加世田方面からバスで来た、ヒガミちゃんと合流・・・ |
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そして食事・・・かつおづくし・・・ この後、ヒガミちゃんは枕崎発の列車に乗るのですが、時間が無く、危うく乗り遅れそうに・・・ ヒガミちゃんの腕時計はいつも1分遅れているとのこと。 こちらは鉄チャンの標準装備、電波時計ですが・・・ |
2018/06/10 | |
ヒガミちゃんは鉄路を行きますが・・・ こちらは、路線バスで加世田へ向かいます。 バスから見える醸造所。 枕崎 1252 1345 |バス \640- 加世田 1427 |
2018/06/10 | |
蒸気機関のようなものも・・・ ここまでははっきりと南薩鉄道の遺構と判るようなものは見当たりませんでした・・・ |
2018/06/10 | |
加世田のバスターミナルに着いて・・・ 早速、蒸気機関車がお出迎え・・・ 案内板には次のように 南薩鉄道(鹿児島交通線)の概要 「南薩鉄道」は薩摩半島の近代化と産業・経済の発展を目的として、加世田麓出身で初代社長となる鮫島慶彦らが明治45(1912)年7月に設立した私設鉄道で、大正3(1914)年4月に伊集院〜伊作、その翌月には加世田まで到達した。その後、大正5(1916)年11月に東加世田村の有力者に支援により薩摩大崎町まで延長され、昭和6年(1931)年3月の枕崎延伸まで、列車は伊集院〜薩摩大崎町を直通した。 一方、阿多〜知覧は知覧・川辺・阿多の各村の協力により設立された「薩摩中央鉄道」の路線であり、昭和2(1927)年6月に薩摩川辺まで、昭和5(1930)年11月に知覧まで開通した。当初は頴娃村石垣まで延伸される計画であったが、資金不足で実現できなかった。南薩鉄道は昭和18(1943)年4月に戦時統制令の下で薩南中央鉄道を吸収合併し、南薩鉄道の路線は伊集院〜枕崎(本線)49.6km、加世田〜薩摩万世(万世線)2.5km、阿多〜知覧(知覧線)16.3kmの総延長68.4kmにも及ぶ長大なものとなった。 終戦直後から輸送需要は伸び続け、昭和24(1949)年2月からは鹿児島への直通 列車も運転された。昭和27(1952)年11月には経営権が交代して岩崎與八郎が社長に 就任し、合理化とともに観光開発にも力が注がれた。昭和27(1952)年と昭和29年の 2度にわたって計9両の大型気動車が導入され、西鹿児島までの乗り入れ列車を増便 した。南薩鉄道は昭和30年頃に最盛期を迎え、旅客列車本数は伊集院〜加世田が 17往復、加世田〜枕崎14往復、加世田〜薩摩万世24往復、阿多〜知覧9往復に まで増加した。しかし、その後バス路線網が充実すると乗客が減少し始め、万世線 と知覧線がそれぞれ昭和37(1962)年1月と昭和40(1965)年11月に廃止された。 昭和39(1964)年には「三州自動車」との合併により「鹿児島交通」が発足した。 昭和40年代以降、複数回にわたり鉄道廃止が提案されるが、地元の反対が強く存続 された、この間、昭和46(1971)年には貨物扱いが廃止され、晩年は駅員配置駅も 日置・伊作・加世田・枕崎のみとなった。 このようななか、昭和58(1983)年6月の「加世田豪雨」により路線が寸断され、被害は 甚大なものとなった。その後、日置〜加世田でわずかな本数の列車が復活し、国鉄 乗入れ区間の輸送も継続されていたが、昭和59(1984)年3月17日限りで、南薩鉄道 70年の歴史に終止符が打たれることになった。当日は快晴に恵まれ、多くの沿線住民が 繰り出して「南薩線」との別れを惜しんだ。廃止後30有余年の時を経て、「南薩線」は 今も多くの人々の心の中に生き続けている。 本案内板は平成27年鹿児島県地域振興推進事業により設置されたものです。 |
2018/06/10 | |
ディーゼル機関車・・・ 先の案内板の裏面には次のように・・・ 加世田駅跡 「南薩鉄道」が加世田まで開通したのは開業からまもない大正3(1914)5月10日であった。当時の川辺郡加世田村は田園に 囲こまれたところで、当時は未知であった鉄道そのものが敬遠される傾向にあり、「加世田停車場」は町はずれに設けられた。 大正5(1916)年10月に大崎線(のちの万世線)が開通すると伊集院からの列車は加世田で折れ、薩摩大崎町(のちの薩摩万世) まで直通した。近隣の村から南薩鉄道を経由して、朝の鹿児島発門司行の急行列車に乗り継ぐためには加世田に宿泊しなければ ならず、駅周辺は徐々に賑わいを見せて、大正年間には現在の本町商店街が形成されていった。南薩鉄道の本社は大正5(1916)年 から昭和33(1958)年に支社となるまで加世田に置かれ、また駅構内には車庫や運転設備もあり、加世田は南薩鉄道の本拠地で あった。昭和18(1943)年の南薩中央鉄道との合併後は、万世線のみならず知覧線の一部も加世田発着となり、終戦直後 から昭和30年代にかけて、駅は常に乗客であふれかえり、構内にはいつも何台もの蒸気機関車が煙を上げていた。その後は 万世・知覧の両支線の廃止や、駅の無人化、貨物列車の廃止などを経ながらも鉄道が維持されていたが、昭和58(1983)年6月の 加世田豪雨による路線の被害は甚大なものとなり、昭和59(1984)年3月17日に終焉の時を迎えた。まだ寒さの残る春の宵で あったが、多くの住民が構内で見守るなか、18時55分発の日置行き最終列車が五色のテープで沿線住民と結ばれながら旅立って いった。駅跡には「南薩鉄道記念館」による車両や資料の展示が行われ、当時を偲ぶことができる。 最晩年の加世田駅全景 (写真:中原昌一)(解説:有木道則・大田治彦) 南さつま市教育委員会 |
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周辺にはプレートガーダー橋も放置・・・ |
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バスターミナルから見えるところに建物があり、 この中に南薩鉄道時代の気動車などが保存されているとのことでした・・・ しかし、今日は日曜なので管理者が不在で開けることができないとの事。 |
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南薩鉄道記念館前の展示・・・ |
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南薩鉄道記念館の石倉・・・ |
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南薩鉄道記念館の展示の一部・・・ |
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路線バスで加世田市街に入る辺りで、洋館を見かけ、それを見に行こうと思いましたが 場所がよく分からず・・・GPS付きスマホを持っているのに要領を得ない・・・ それでバスターミナルへ戻ってきました・・・ 加世田 1427 1555 |バス\860- 伊集院駅前 1655 |
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再び路線バスで・・・南薩鉄道の遺構と思われる橋脚。 このほか、一瞬ですがプラットホームの遺構も見る事ができました。 |
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南薩鉄道の痕跡を少しは見る事がかなって、 伊集院に着きます。 |
2018/06/10 | |
伊集院を発車する電車・・・ 山間部にも関わらず伊集院駅構内はかなり広かったようで、 鉄道の要衝だったことが伺えます。 ヒガミちゃんからは、特急きりしま、自由席は満員。グリーン車に乗った。 とのことなので、ここで、特急きりしま18号の指定券を手配・・・ これが後ほど物議を・・・ 伊集院 1725 レ 鹿児島中央 1746 |
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鹿児島中央駅で少々写真撮影・・・ 鹿児島中央 1746 1806 レ 鹿児島 1810 |
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特急きりしま18号の指定券は、鹿児島中央駅から取ってありますが 鹿児島駅の様子も見たいので、鹿児島まで来ます。 このことが後で余計問題をこじらせる事に。 写真は鹿児島駅本屋 |
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駅前から見る鹿児島駅本屋・・・ |
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駅前からは市電が出ています。 探索すると面白そうですが、今回、市電の乗車や撮影は見送り・・・ |
2018/06/10 | |
グリーン軌道を走行する市電・・・ |
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鹿児島駅へ戻ってきりしま18号が入線・・・ 勢力の大きな787系に押され気味の783系 ところで、きりしま18号の指定席は窓側のD席だったのですが、 そこには言葉から関西系と思われる、おばちゃんが既に弁当を広げて占有中。 席、違うんじゃないですか?と散々問いかけて、 ようやく確かめてもらった切符は反対側のA席。 すると、いや、ここの切符は連れが持ってるから・・・ あの人がここに座っていいと言った・・・など 訳の分からん言い訳を始めて、席を立とうともせず、全く埒が開かず・・・ そうこうしている内、車掌さんが通りかかって、連れ合い3人全員の切符を確認、 そしておばちゃんを説得、ようやく、どいてもらい解決しました。 これまでにも関西系おばちゃんの迷惑行為は、 日本中とはいわず世界中でお目にかかりましたが、 これほど、図々しいというか厚かましいのに遭遇したのは初めてです。 その後のおばちゃんたちの会話・・・ この頃起きていた、5歳女児虐待死事件に関して、 親として未熟なのよ・・・とか、ガヤガヤ宣わってました。 が、その前に自分たちの旅行者としての未熟さを自覚して欲しい・・・ |
2018/06/10 | |
こちらがトラブルに巻き込まれている最中にもヒガミちゃんからは、 ホテルチェックインした。都城から先は雨天。宮崎も雨です! と・・・写真は宮崎に到着した、きりしま18号・・・ この後、ヒガミちゃんと駅中で、先ほどのおばちゃん連中に比べれば、 実にささやか、静かな宴会を過ごしました・・・ 鹿児島 1810 1832 レきりしま18 宮崎 2038 |
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