加太駅 | いよいよ鉄道遺産の宝庫、加太峠です・・・中学生の時、伊勢から大阪へ引っ越しをする機会があり、 その折りに車で通りました。残念ながら蒸機に出会うことはありませんでしたが・・・ |
2018/03/11 | |
その時から45年を経て・・・青春18切符で津を発ちます。 柘植まで普通切符で行って、関西フリーパスを使うことも考えたのですが、 以前に比べて、購入手続きがが煩雑になったのと、価格的にそれほどメリットがなくなったので・・・ 写真は亀山を出て直ぐ見えるターンテーブル。 上部を継ぎ足して補強しているようです・・・蒸機の大型化・重量化に対応した結果でしょう。 津 538 レ 亀山 556 602 レ 加太 616 |
2018/03/11 | |
線路は複雑な曲線を描きながら、加太峠へ向かいます・・・ 基本レールの外側にあるレールは、ガードレール。 万一脱線した際、車輪が軌道から大きく逸脱して、崖下へ転落するのを防ぎます・・・ |
2018/03/11 | |
金場隧道・・・胸壁(パラペット)上部が珍しく屋根型となっており、壁柱は在りません。 加太駅の案内板には次のように・・・ 金場隧道(かねばずいどう) 関〜柘植間には、関西(かんせい)鉄道の開業当時の姿を色濃く残す隧道が3本ある。 最も東に位置する金場隧道は、延長260.0mを測る。 関側の坑門は、中央上部を尖らせた破風(はふ)型の煉瓦造で独特の外観になる。 建設工事用列車を通すため、明治23年8月1日に着手してから、わずか63日で完成した。 |
2018/03/11 | |
レールで造られた落石覆い・・・連続して二か所在ります・・・ |
2018/03/11 | |
坊谷隧道・・・ 左側の壁柱(ピラスター)は翼壁(ウイング)に埋もれ、ほとんど見えません。 アーチ上部には要石が入っています。 同じく加太駅の案内板には次のようにあります・・・ 坊谷隧道(ぼうたにずいどう) 延長163.0m、関側及び加太側いずれの坑門も要石(かなめいし)付の馬蹄型(ばていけい) アーチの両側に壁柱(かべばしら)を立ち上げ、重厚な外観になる。 地質は非常に硬い花崗岩で、建設工事の際には一昼夜で30cm程しか掘削できず、 火薬を著しく消費した。開業間際の明治23年11月に1年1ヵ月を費やして完成した。 |
2018/03/11 | |
いよいよ加太駅で下車・・・ 駅ホームは直線・長大でその前後が、カーブを描いています・・・ |
2018/03/11 | |
駅舎は、少し高いところに・・・ |
2018/03/11 | |
まずは駅から少し亀山側に歩いて、市場川橋梁・・・ 付近には、加太鉄道遺産研究会による丁寧な解説の案内板があります・・・以下その解説文・・・ 市場川橋梁(いちばがわきょうりょう) 関西本線は、名古屋ーJR難波(大阪市浪速区)間174.9kmの幹線であり、 明治23年(1890)に私鉄の関西(かんせい)鉄道により柘植(伊賀市)−四日市間が開業した。 市場川橋梁は、加太市場内の牛谷川に架かる。径間長3.7m。開口部の 煉瓦はイギリス積みとし、線路と河川がやや斜めに交わるため上面を斜めに切り欠く。 腰部とアーチ境界の起拱(ききょう)継目は、煉瓦を斜めに置いて凹凸をつけた ”雁木”(がんぎ)と呼ばれる装飾帯とする。 煉瓦構造物では珍しい中央部分の施工継目は、明治29年(1896)の加 太駅開業時のものと推定され、継目にて基礎部分の石材の仕上げを異にする。 後補の鉄筋コンクリート造通路とともに、地域の生活に溶け込む。 平成29年2月 加太鉄道遺産研究会 |
2018/03/11 | |
川の対岸へ・・・写真のように石垣上にまで、ネットが張られており、 正面からは橋梁の全体像を撮れません。そんな中、列車が・・・ |
2018/03/11 | |
さらに接近を試みるも、これが精一杯・・・ 後付けの歩道が入り込んでいる様子が判ります。 |
2018/03/11 | |
橋梁の内部、腰部とアーチ部の継ぎ目、(起拱(ききょう)継目・スプリングラインとも)には 雁木の装飾。ここにこれを有するのは非常に珍しい・・・ 上のアーチ部の煉瓦は長手積み、腰部は英国積みとなっています・・・ |
2018/03/11 | |
橋梁の継ぎ目部分、川床は平石が敷いてあります・・・ 水は非常にきれい・・・ |
2018/03/11 | |
時々列車が通るので、踏切警報機に呼び出されて、あわてて撮影・・・ |
2018/03/11 | |
反対側の出口は配管などがあり、観賞には適さず・・・ 橋梁内からの歩道は、入り口で川を跨いでいて、割と複雑な構成・・・ |
2018/03/11 | |
今度は加太駅から、柘植側へ大分歩きます・・・ 蒸機時代、有名撮影地だった加太峠・高堤防方面へ・・・ |
2018/03/11 | |
屋淵川橋梁を過ぎ、途中の小学校には「勉学力行」の碑・・・ 加太峠を越える蒸機機関車に感銘を受けた結果? |
2018/03/11 | |
さらに板屋川橋梁を過ぎ、GPSの助けを得ながら第165号架道橋に到着。 案内板には次のように・・・ 第165号架道橋 関西本線は、名古屋ーJR難波(大阪市浪速区)間174.9kmの幹線であり、 明治23年(1890)に私鉄の関西(かんせい)鉄道により柘植(伊賀市)− 四日市間が開業した。 第165号架道橋は、加太板屋地内の林道板屋線に架かる。径間長2.5m。 笠石を雁木(がんぎ)で彩り、フランス積みの胸壁(むねかべ)には赤煉瓦とやや色の濃い焼過(やきすぎ) 煉瓦を交互に配して”ポリクロミー”と呼ばれる模様を描く。 アーチ最上部に焼過煉瓦を用いて楔(くさび)状に要石(かなめいし)を表現し、腰部を”江戸切り” の隅石でコントラストをつけるなど装飾性が高く、小品ながらも見どころに富む。 平成29年2月 加太鉄道遺産研究会 レンガの寸法 L210〜225×W95〜110×H60 左上の隅石の寸法 620×400×320 |
2018/03/11 | |
特徴の一つ。雁木と焼過ぎレンガを交互に配したフランス積みの胸壁・・・ アーチ上部の要石の部分にも、焼過ぎレンガを配する・・・ |
2018/03/11 | |
反対側の出口も、造りが損なわれていません・・・ |
2018/03/11 | |
さらに先へ向かいます・・・ 元、藁葺屋根だった建物には、火除けのおまじないで水の文字・・・ |
2018/03/11 | |
列車の通過時刻に合わせて、大和街道架道橋へ着きます。 案内板には次のように・・・ 大和街道架道橋(やまとかいどうかどうきょう) 東海道歴史文化回廊 大和街道は、関宿西の追分で東海道から分岐し、加太峠を越えて伊賀 ・奈良に通じる街道です。 明治時代、全国に鉄道網が整備される中、東海道と並び名古屋と 関西地方とをつなぐ鉄道路線として、 「関西鉄道(かんせいてつどう)」が加太川に沿った谷間に整備されました。 この大和街道架道橋は、関西鉄道の線路と大和街道が交差する位置にあり、 明治23年(1890)に完成しました。長さ4.5m、幅15.1mで、 周辺では最大規模の架道橋です。 周辺は加太隋道へ向かう急勾配を登るため、線路を敷くための長大な 堤が築かれたことや、幹線道路であった大和街道を跨ぐことから、 このような凝った意匠が用いられたと考えられます。 (以下写真の解説文) 上部は鉄道線路※立入厳禁 壁面は、イギリス積みレンガ。 題額には、何もかかれていない アーチ環の石積み 笠石 笠石下にはレンガを鋸型に並べた飾りがある 帯石 アーチ内部は、腰部が石積み、上部はイギリス積みレンガ 平成22年3月 亀山市教育委員会 (改行以外、原文のまま掲載しています) |
2018/03/11 | |
反対側はコンクリートで固められています・・・ |
2018/03/11 | |
大和街道架道橋の道路は坂を上っています・・・ 笠石下は雁木となっています。 扁額の在る胸壁が、黒っぽく焼過ぎ煉瓦に見えますが違うようです。 3.7mの高さ制限標識の向こうにはお地蔵さん。 |
2018/03/11 | |
さらに先へ、今度は大崖川橋梁です・・・ ここまでで加太駅から3km程の距離です。 大崖川橋梁(おおがけがわきょうりょう) 関西本線は、名古屋ーJR難波(大阪市浪速区)間174.9kmの幹線であり、 明治23年(1890)に私鉄の関西(かんせい)鉄道により柘植(伊賀市) −四日市間が開業した。 大崖川橋梁は、加太北在家と加太中在家の境界にあり、昭和40年代には蒸機機関車撮影の 聖地となった大規模な盛土(もりど)”高堤防(たかていぼう)”の下部で加太川に架かる。 坑門及び側壁を整層切石(せいそうきりいし)積みとし、坑内のアーチ部分を長手積みの煉瓦造とする。 坑門は、迫持石(せりもちいし)、迫石(せりいし)及び要石(かなめいし)を備えた本格的な意匠になる。 径間7.6m(25フィート)の半円アーチは複線型断面隧道に匹敵する規模で加太地区随一。 (写真) ”高堤防”をゆく蒸機機関車が牽引(けんいん)する貨物列車(昭和45年頃) 平成29年2月 加太鉄道遺産研究会 |
2018/03/11 | |
道路から下へ回り込むことができ・・・ 正面から写真を撮れます・・・アーチ内部には鉄骨の補強が入っていますが、 幸い、それほど外観を損なっていません。 |
2018/03/11 | |
いい風景・・・ |
2018/03/11 | |
大崖川橋梁の高堤防を通る気動車。 昔は後補機付きのD51貨物列車の撮影名所でした。 有名写真家による当時のすばらしい写真の数々は こちら1 こちら2 など・・・ |
2018/03/11 | |
加太駅へ引き返します。佇まいの良い倉・・・ そういえば、加太峠は、 「本能寺の変」後、徳川家康が三河へ逃れる際に通った「神君伊賀越え」で有名な地でもあります・・・ 加太峠は山賊が出没し、伊賀越えの難所の一つだったということです。 |
2018/03/11 | |
別の倉・・・ 窓に対して庇が非対称・・・開けた扉に雨を当てない為か? |
2018/03/11 | |
再び、第165号架道橋を通過・・・ 日が少し高くなったので影ができ、アーチ部の傷みもはっきり判るようになってきました・・・ レンガ凍結による痛みと思われます。この辺りは積雪地帯です。 |
2018/03/11 | |
板屋川橋梁まで戻ってきました・・・ 常用レンズ18-135mmの望遠端で撮影、 このレンズの望遠側はあまりいいイメージがなかったのですが、見直しました。 手振れを極力無くすよう撮っています。要は腕の問題でした。(T T) PENTAX K3-U SMC PENTAX-DA 1:3.5-5.6 18-135mm ED AL [IF] DC WR 1/500s f/8 135mm ISO400 精緻な煉瓦の描写を伝えられないのは残念・・・ 以下、現地の案内板から・・・ 板屋川橋梁(いたやがわきょうりょう) 関西本線は、名古屋ーJR難波(大阪市浪速区)間174.9kmの幹線であり、 明治23年(1890)に私鉄の関西(かんせい)鉄道により柘植(伊賀市)− 四日市間が開業した。 板屋川橋梁は、加太板屋地内の加太川に架かる。鋼製2連桁橋、橋長35.4m。 加太側に40フィート級、柘植側に70フィート級の鈑桁を深い谷に架ける。 橋脚は、石材を”こぶ出し”に仕上げ、五角形断面の上に長方形断面を乗 せて”江戸切り”の帯石で引き締め、イギリス積みの煉瓦を立ち上げる。 重厚な姿が、加太地区の河川景観を整える。 平成29年2月 加太鉄道遺産研究会 |
2018/03/11 | |
板屋川橋梁で列車の撮影・・・ |
2018/03/11 | |
写真を撮っているときには気付きませんでしたが、 橋脚の基部は川の流れに対して先が尖っている五角形となっています。 |
2018/03/11 | |
屋淵川橋梁まで引き返してきました。 こちらの橋脚は下部まで四角形です。案内場には次のように・・・ 屋渕川橋梁(やぶちがわきょうりょう) 関西本線は、名古屋ーJR難波(大阪市浪速区)間174.9kmの幹線であり、 明治23年(1890)に私鉄の関西(かんせい)鉄道により柘植(伊賀市)−四日市間が開業した。 屋渕川橋梁は、加太板屋地内の加太川に架かる。鋼製3連桁橋、両岸の40フィート級、 中央の70フィート級の鈑桁(ばんげた)からなり、加太地区最長の橋長50.7mを測る。 鈑桁に取り付けられた銘板から、大正13年(1924)年に大阪鐵工所 (日立造船株式会社の前身)により八幡製鐵所の鉄材を用いて製造されたことなどが詳らかになる。 加太地区の橋梁は、大正後期に鉄道車両の近代化に伴い、さらに強度の高い鈑桁に取り替えられた。 (写真) 平成29年2月 加太鉄道遺産研究会 |
2018/03/11 | |
街道沿いの宿場町だったころの面影でしょうか・・・ |
2018/03/11 | |
加太駅へ戻って、周辺の鉄道遺産群を示した案内板 | |
加太地区の鉄道遺産群・・・亀山方 |
加太地区の鉄道遺産群・・・柘植方 |
2018/03/11 | |
再び関西本線を西進・・・コンクリ製の落石覆い? 加太 616 1028 レ 柘植 1039 |
2018/03/11 | |
たて続けの勾配標・・・ 手前が16.7‰、奥が25‰・・・ |
2018/03/11 | |
中在家信号所跡・・・ 短いホーム跡と引き込み線跡・・・ |
2018/03/11 | |
加太隧道入り口・・・隧道幕などが設けられていた名残か、 トンネルポータルは直接見えません。 ネットや加太駅などにあった解説などを総合しますと・・・ 加太隧道 関西本線最長の隧道で延長929.6mを測る。蒸気機関車 が柘植方向に牽引する列車は、上り急勾配と気流の影響により 煤煙が列車にまとわりつくため、加太側の坑門には、 最後尾が隧道に入ると緞帳(どんちょう)のような「隧道幕」が降ろされた。 今も昇降装置や保線係員が休息した建物などがのこる。 工事は加太側、柘植側、及び中央部の縦坑(鉄道開設では日本初の工法)の3か所から行われた。 ということです。 |
2018/03/11 | |
柘植駅構内に入り、堪能できた加太峠は終了・・・ |
2018/03/11 | |
柘植駅では久々にレンガ油庫と再会・・・ |
2018/03/11 | |
忍者の観光案内・・・ 柘植 1039 1101 レ 貴生川 1119 |
2018/03/11 | |
草津線へ乗り換え・・・電車で貴生川駅まで来ます・・・ 右手の緑の電車が乗ってきた草津線の電車。 左がこれから乗車する信楽高原鉄道の気動車・・・ |
2018/03/11 | |
しばらく平坦な線路を直進した後、いきなり急勾配で登坂・・・ 貴生川 1119 1124 レ 信楽 1148 |
2018/03/11 | |
信楽駅に到着・・・ 右手に巨大なタヌキの像があります・・・ 駅前の蕎麦屋に入ってニシン蕎麦を頼んだのですが高いばかりで、美味しくもなく・・・ |
2018/03/11 | |
継電連動盤が良く見えるので撮る・・・ 終端駅の配線。 |
2018/03/11 | |
沢山のタヌキに見送られ、貴生川へ引き返します・・・ さすがにこんなに多いと気持ち悪いわ・・・ 信楽 1148 1254 レ 貴生川 1317 1321 レ 草津 1347 |
2018/03/11 | |
雲井駅近くには、現在ほとんど見られなくなった木造の保線詰所・・・ 機会があれば再訪したい。 |
2018/03/11 | |
草津で東海道線へ乗り換え、京都へ・・・ 草津線車内では、妙齢の女性が「フリーランスで1億稼ぐ方法」などという本を読んでいて、 金儲けしか頭に無いんかと思いつつ・・・ 草津 1347 1352 レ 京都 1413 1430 レ はるか35 天王寺 1515 |
2018/03/11 | |
京都からは「はるか35号」で・・・ 新大阪〜野田の、普段は貨物線区間を踏破・・・ |
2018/03/11 | |
天王寺駅で下車・・・ |
2018/03/11 | |
今回の名松線・信楽線・新大阪〜野田の短絡線。 これで近畿・中部地方のJR線・元国鉄線を完乗・・・ |
2018/03/11 | |
天王寺から大阪までの大和路快速車内では、前に座ったうら若き美人が、今度は、 「100億稼ぐ人の思考法」なる本を熟読。 そんなもん読んでどうするんだろう? 先程の草津線の件といい、関東との文化の違いを感じる次第・・・ 大和路快速は、天王寺から左回りに大阪へ、そしてこの後、 再び天王寺へ・・・そしてやっと加茂へ向かいます・・・ 数字の9を左右反対にしたような経路を辿るわけですな。 天王寺 1515 1520 レ 大和路快速加茂行 大阪 1541 1545 レ 姫路 1648 当初の予定より1時間早く、姫路に着いたのですが・・・ |
2018/03/11 | |
ヒガミちゃんに連絡を取るも、未だ網干で呑気に撮影中とのこと・・・ 19時頃ようやくヒガミちゃんが到着して、駅の串カツ屋でヒガミちゃんの大好きな宴会。 ヒガミちゃんは関西の、トゲトゲしていない串カツが好みとのこと・・・ トゲナシトゲトゲですな。 当方は、秋葉原で食べた、カリッとトゲトゲした串カツが美味しかったな・・・ こちらはトゲアリトゲトゲが好み・・・ |
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