碓氷峠 | 今回のメイン、碓氷峠・・・軽井沢から熊ノ平までのバスが、 シーズン最終日となるので。わざわざ今日にしたのですが・・・ |
2017/08/16 | |
ホテルの窓から・・・生憎、天気は悪そうです・・・ しかし、構造物を撮るには影が出ないので却って好都合の面も・・・ しかし、湿気と雨の故に、またまた災難が・・・ 上田 742 752 レ 田中 752 |
2017/08/16 | |
田中駅で下車。乗車したスカ色の電車・・・写真をを撮っているサラリーマン風の人がいました・・・ |
2017/08/16 | |
田中駅本屋、改修されています・・・ 名前つながりでヒガミちゃんに、券売機で入場券を買い求め・・・ 田中 752 814 レ 小諸 824 |
2017/08/16 | |
小諸で油庫を至近距離で見る・・・ |
2017/08/16 | |
小諸駅で跨線橋の古レール。 UNION D 1885 IRJ と記されているように見えますが・・・ 小諸 824 840 レ 信濃追分 855 |
2017/08/16 | |
先回に引き続き、信濃追分駅で下車・・・なぜかというと・・・ |
2017/08/16 | |
木製の車止め・・・先回訪れたときは積雪のため下回りが見えませんでしたので・・・ 今回、じっくり観察し、OJゲージ・レイアウト(鉄道ジオラマ)の資料とします・・・ |
2017/08/16 | |
線路の匐進(ふくしん)の為なのか、押し込まれて傾いていますが、 資料的価値は十分・・・ |
2017/08/16 | |
ホームでは草花がぼうぼうですが・・・ あえて自生の野草で、あるがままの植生にしているそうです。 人の手を経たものより余程センスが良いように思える・・・ |
2017/08/16 | |
丁度、軽井沢ホリデー号が来たので乗車・・・ 信濃追分 855 928 レ 軽井沢ホリデー2号 軽井沢 938 |
2017/08/16 | |
軽井沢駅へ着いて旧軽井沢駅舎。1000型電気機関車にはカバーが掛けられ、 展示車両も少なくなっているので、少し変に思っていると・・・ |
2017/08/16 | |
(旧)軽井沢駅舎記念館は、 平成29年3月31日(金)を もちまして閉館となりました。 長い間ご愛顧いただき、ありが とうございました。 と正面玄関にありました。少々手遅れ・・・ しかし、雨の中、辺りで写真を撮っているおばあさんもいたので なんとかコストの掛からない形で再開できないものだろうか? ・・・と残念がっていると・・・ ヒガミちゃんの話では、しなの鉄道の軽井沢駅舎としてリニューアルオープンが予定されているとの事・・・ よかった、よかった・・・ |
2017/08/16 | |
旧駅舎の奥側には、映画「カルメン故郷に帰る」で有名な草軽電鉄の機関車・・・ 草軽電鉄電気機関車 この機関車はデキ12形機関車といいアメリカのジェ フェリー社で大正九年に製作したハンドブレーキ常用、 非常用電気ブレーキ付きという鉱山用のトロッコを改造 したものである。 大正四年七月より草軽軽便鉄道営業を開始、大正十五 年軽井沢〜草津間(五十五・五キロ)の電化が完成して から、昭和三十七年一月三十一日路線を廃止するまでの 約三十五年の間、地元民の足として、また、旅行者・避 暑客の良き案内人として親しまれた電気機関車である。 南側の一対の車輪は、同電気機関車が牽引した客車の車輪 である。 軽井沢町 軽井沢教育委員会 軽井沢町文化財審議委員会 |
2017/08/16 | |
さらにその脇には元、給水塔のレンガ製基部の碑・・・ |
2017/08/16 | |
その解説と写真・・・古い給水塔の為、 全体に小ぶりでタンク体の高さが低い・・・ 軽井沢駅構内煉瓦サイロの碑 -Brick-made Silo of JR Karuizawa Station- 明治40(1907)年- 信越本線、横川・軽井沢間の碓氷峠は、国鉄線(現JR線)の中でも線路勾配が最も急であるため(最急勾配も66.7‰)、我が国で も唯一のアプト式鉄道として開業しました。 そのアプト式も技術の進歩と共に強力電気機関車による粘着運転(動輪のみによる運転)が可能となり、昭和38年9月に70年余の 使命を達成し、その後廃止となりました。 この碓氷峠にアプト式を採用した鉄道を敷設するに際し、トンネル・橋梁・付属建物に相当量の煉瓦(例:めがね橋構築に200万個) を使用しました。この大量の煉瓦は既設の煉瓦工場では需要に賄いきれず、軽井沢町・塩沢に煉瓦工場を新設して賄いました。 この建物(JR財産標鉄倉庫五号)もその煉瓦を使用して作られた構築物の一部(厚さ60cm・高さ3m50cm・直径5mの円筒形) であり、アプト式蒸気機関車に使用する水を、上部の水槽に蓄え給水していま した。 大正11年アプト式蒸気機関車が廃止されてからは、脚台部分に屋根を葺き、 倉庫として使用されていました。 この明治時代からの当時を偲ばせる鉄道遺構を後世に末永く伝えるべく、 煉瓦サイロの一部をモニュメントとして保存いたします。 平成7年6月 東日本旅客鉄道株式会社 軽井沢 938 1036頃 | タクシー \3,200- 熊の平駐車場 1054 |
2017/08/16 | |
観光地なので少々お高い食事を摂って、 バスを待つ時間も惜しいので、タクシーで熊ノ平まで来てしまいました・・・ 軽井沢のタクシーは、一律、黒塗りのクラウンのようですが、屋根上の行灯が無く、一瞬タクシーかどうか迷います。 運ちゃんの話では景観に配慮しての事ではないかとのことでした・・・ 写真は熊ノ平駐車場から熊ノ平変電所への入り口を見たところ・・・ |
2017/08/16 | |
重厚感のある熊ノ平変電所・・・ |
2017/08/16 | |
変電所脇に在る、熊ノ平受難の碑・・・ このような大災害が遭った事は知りませんでした・・・ この殉難碑は昭和二十五年六月九日早朝 突如として山くずれが起こり一瞬にして 埋め去られた職員と家族五十のみたまを 末永くまつるため、全国の国鉄職員から 寄せられた浄財で設立されたものであります。 設立当時には線路の反対側にありましたので、 参拝するためには線路を横断しなければ ならず危険かつ不便なので昭和四十三年 十二月現在地に移設しました。 しかしながら現在のみたまは雨雪にさら され誠に忍びない状態にありますので、 今回ささやかな霊堂を建立して、 みたまをおなぐさめ申し上げることに した次第であります。 昭和四十四年十一月 高崎鉄道管理局 |
2017/08/16 | |
いよいよ散策・・・ 左の十号トンネルから・・・ 辺りには誰もいません・・・ |
2017/08/16 | |
照明が在るので十分歩けます・・・少々歩いてトンネル出口・・・ |
2017/08/16 | |
10号トンネル内より・・・ 9号・8号トンネルと続いています・・・ |
2017/08/16 | |
碓氷第六号橋梁。下へ降りることができないので、せめてこの角度から・・・ 解説にあるピラスターとは付け柱のこと。 碓氷第六橋梁 碓氷第六橋梁は碓氷線の橋梁の中で、めがね橋に次ぐ 大きさです。河床からの高さは57ft(17.4m)長さは 170.16ft(51.9m)あります。隅角部に隅石を配した高 い橋台と、永い側壁を持っています。高欄はフランス積 みで、現存する橋梁、トンネルの中では唯一 の例と思われます。高欄は焼きすぎ煉瓦を巧みに配置し、 美しい市松模様となっています。めがね橋と違い、山側 にもピラスターを持っています。補強の形跡はなくよく 原型を保っています。 |
2017/08/16 | |
高欄のレンガは、一つの層に長辺と短辺が交互に現れるフランス積み・・・ |
2017/08/16 | |
笠石以外はレンガのシンプルなポータル・・・ 案内板には次のように・・・ トンネルの数が多いですが、どういう事でしょう?・・・ 隧道入口(ポータル)の違い? 碓氷峠は明治時代に「一時間半にして、二十六昼夜あり」 と新聞記事になりました。26のトンネルが連続しています。 工事には鹿島組他、当時最高の技術を持った会社が担当 しました。デザインには各社特色が出ています。その中でも 要石を使った石造りの本格的なものから、煉瓦のみを使った 簡素なものまで各種あります。現存するトンネルの中では全体 の入口に当たる1号隧道横川方、3号隧道(国道近く)5,6号 のめがね橋の両端は、りっぱな造りとなっています。道からは 見えない5号横川方や、トンネルを分割した、7,8号隧道は 簡素な造りとなっています。 |
2017/08/16 | |
レンガ主体ですが両脇にピラスター(付け柱)を有し、堂々とした第7号トンネル・・・ |
2017/08/16 | |
味わい深いレンガ橋梁・・・ |
2017/08/16 | |
石積み主体でアーチ環がレンガの第6号トンネル軽井沢方・・・ |
2017/08/16 | |
第6号トンネル・ポータルを側方から・・・ ピラスター(付け柱)は斜めにポータルを支えています・・・ |
2017/08/16 | |
排煙用の穴と横坑・・・案内板には次のように・・・ 第六隧道は工期短縮のため、途中からもトンネルを 掘りました。途中の沢を後で塞ぎ、穴をあけ甲横坑、 乙横抗としています。上には排煙用の穴があいていま した。トンネルの煉瓦は水に弱く、(冬場には煉瓦に しみこんだ水が煉瓦を壊す)また豪雨の際トンネルに 水が入り込むのを防ぐため、トンネルをつないだもの です。横坑の脇には、排水用の導管のアーチも見るこ とが出来ます。横坑は旧道からも見ることが出来ます。 |
2017/08/16 | |
第6号トンネル横川方、アーチ環が楯状迫石(たてじょうせりいし)・・・ ピラスターが切り石、翼壁はレンガで整然とした美しさ・・・ めがね橋を控えているので豪華な造り・・・ レンズ交換の為、荷物を地面に置いたのが良くなかったのか、 ここで山ヒルに刺された・・・湿った山道はヒルに注意!ですな・・・ |
2017/08/16 | |
6号トンネル坑口付近のレンガは、 目地を山形に盛り上げる覆輪目地という技法が用いられています・・・ ちなみに東京駅丸の内口駅舎も同様の技法です・・・ |
2017/08/16 | |
谷側から見るめがね橋の威容・・・ 国指定重要文化財 碓氷峠鉄道施設 碓氷第三橋梁(めがね橋) 平成五年八月十七日 指定 高崎〜横川間は明治十八年(一八八五)十月、軽井沢〜直江 津間は、二十一年にそれぞれ開業しましたが、碓氷線と呼ばれ た横川〜軽井沢間は、碓氷峠が急勾配のため、路線決定に紆余 曲折し、明治二十六年(一八九三)四月開業となり、高崎〜直 江津間の全線が開業しました。 横川〜軽井沢間の十一.二キロメートルは千分の六十六.七と いう最急勾配のため、ドイツ の山岳鉄道で実用化されてい たアブト(=アプト)式が 採用され昭和三十八年まで 走り続けました。 この碓氷線には、当時の土 木技術の粋を集めて、二十六 のトンネルと十八の橋梁が造 られましたが、なかでもこの 碓氷峠第三橋梁は二百万個以上 のレンガを使用した、国内で も最大のレンガ造アーチ橋で す。 文化庁 安中市教育委員会 |
2017/08/16 | |
山側から・・・そういえばこちら側にはピラスター(付け柱)がありませんな・・・ |
2017/08/16 | |
谷側のピラスター・・・ |
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5号トンネル坑口付近から・・・ |
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列車が来たときの退避スペース・・・ ここは奥がレンガですが、直接、岩盤が見えている箇所もあります・・・ |
2017/08/16 | |
第5号トンネル横川方・・・ |
2017/08/16 | |
第4号トンネル・・・ |
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ヒルに刺された時は、大したことも無いと思っていたのですが、 出血がなかなか止まりません・・・ |
2017/08/16 | |
2号トンネル軽井沢方・・・ |
2017/08/16 | |
上へ上がれたので、パラペット(胸壁)裏の様子を観察します・・・ |
2017/08/16 | |
1号トンネル横川方・・・トンネルはここで終わり・・・ |
2017/08/16 | |
観光列車がここまで来ています・・・ |
2017/08/16 | |
丸山変電所が見えてきました・・・機械室側 国指定重要文化財 旧丸山変電所について 〜建物〜 丸山変電所は2棟の建物から成っています。 向かって右側の建物が蓄電池室、左側の建物が機械室です。 蓄電池室には、機関車が峠にかかる時に必要な 電力を補うため312個の蓄電池が並んでいました。 充電中は室内に水素と有害物質の硫酸雲霧が大量 発生するため、窓・引き戸などは通風に適するよう 工夫されていました。 機械室では、発電所から送られてきた 交流電気を直流電気に変えて、蓄電池室内の蓄電池 と機関車へ送電していました。 丸山変電所は工場建築に近いため華やかさには 欠けますが、正面入り口や側面には控えめながら 装飾的な要素が加えられ、落ち着いた格式高いものとなっています。 煉瓦造り建築の最盛期のものであることが実感される、今に伝わる数少ない 遺産です。 安中市教育委員会 |
2017/08/16 | |
国指定重要文化財 旧丸山変電所について 〜歴史〜 丸山変電所は、明治45年(1912年)碓氷線を走る機関車の電化に伴い造られ たものです。碓氷線とは、信越本線の横川ー軽井沢の通称です。信越本線 は日本の近代化を担う重要な鉄道のひとつでした。 碓氷線は日本で唯一アプト式を取り入れ、日本一 の急勾配である碓氷峠(66‰)を越えていました。 しかし、遅い速度・低い輸送力・トンネル内での煙 などの問題に悩まされていました。 これらの問題を 解決するために、日本で最初に電化されました。 丸山変電所の役割は、発電所からの電気を機関車 に供給することでした。昭和38年(1963年)新線開通 に伴い丸山変電所はその役割を終えました。 その後丸山変電所は、日本の近代化に貢献した鉄 道施設の様子をよく示すものとして価値が認めら れ、平成6年(1994年)12月27日に国の重要文化財に指定されました。そして 平成14年(2002年)7月に修復工事が完了し現在に至っています。 安中市教育委員会 |
2017/08/16 | |
蓄電池室側・・・爆発の恐れのある水素やら強酸性の硫酸雲霧が発生・・・ 昔の電池は管理が大変ですな・・・ |
2017/08/16 | |
体験運転のEF63が動いています・・・ |
2017/08/16 | |
碓氷峠鉄道文化むらの風景・・・ 今回は時間が無いので寄りません・・・ |
2017/08/16 | |
ヒルに刺された跡は出血が3時間半も止まらず、おかげで服が血だらけに。 ヒガミちゃんは、毒が抜けて良かったじゃん・・・などと宣ってます・・・ 写真は犯行現場の遺留品みたいですな・・・ |
2017/08/16 | |
峠の釜めしを買い求め・・・ |
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横川の駅から、ようやく営業中の鉄道へ・・・ |
2017/08/16 | |
横川駅構内には木造倉庫も少し残されています・・・ |
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木造の詰め所・・・ 横川 1510 レ 高崎 1541 |
2017/08/16 | |
高崎駅まで来て、ネットに情報があった変形油庫の撮影・・・ 2.3.4番線の南端に在ります。 |
2017/08/16 | |
幅が狭く屋根が斜めに・・・ |
2017/08/16 | |
建物財産標 鉄 危険品庫1号 昭和6年 月 日 とあります。地色は珍しい赤色です・・・ |
2017/08/16 | |
サイドからの写真を撮りたいので、入場券を購入して、 上信電鉄のホームから・・・ |
2017/08/16 | |
なぜ、このような外観になったのか、誰でも不思議に思うところ。 跨線橋の下に設置されていて、後に跨線橋が撤去されたたため・・・ というのが一つ考えられますが、それにしては屋根の傾斜が急角度のような気がします。 他には地下に大きなスペースがあってそこへ階段で降りる入り口というのも考えられます。 いずれにせよ、その内、判るでしょう・・・ |
2017/08/16 | |
高崎からはグリーン車で、もちろん峠の釜めしを・・・ 高崎 1626 レ 上野 1816 1823 レ 我孫子 1859 1903 レ 北柏 1906 |
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