宗谷本線 | 2017年早春のおときゅう北海道2日目は、 各駅停車321Dで旭川から稚内まで、一気に縦断を目論んだところ・・・ |
2017/04/16 | |
旭川駅、近代的な駅舎ですが、木が多用されており、 暖かみのあるデザインは、この地によくマッチしています・・・ |
2017/04/16 | |
乗車する列車、321Dは2両編成で、後方は途中駅の名寄止まり・・・ |
2017/04/16 | |
前方の一両が、6時間4分を要して終着の稚内まで通して運行されます・・・ 特急で行けば、約3時間40分ですが、各駅をじっくり見たいので・・・ 旭川 603 レ321D 幌延 1031 |
2017/04/16 | |
白鳥の群れ・・・ |
2017/04/16 | |
実話を元にした三浦綾子氏の小説「塩狩峠」の舞台となった塩狩駅。峠を登り切ったところに在ります・・・ 明治42年、上り列車がこの駅に到着する直前、連結器が外れ、列車分離事故が起こりました。 そして客車は勾配を逆走し始めます・・・ 列車からでも、乗客を救うべく殉職した長野政雄氏の慰霊碑を見ることができます・・・ |
2017/04/16 | |
レンガ造りのサイロ・・・こちらのサイロは健全ですが、 放置され崩壊に至った、サイロや畜舎を多数見ます・・・ 北海道の他の地域より、経済状態が悪化しているように思えます・・・ |
2017/04/16 | |
名寄に近づいてキマロキ編成・・・冬季休業中のためカバーが掛けられています・・・ 今回はネットで休業を知っていたため寄りませんが、いつかは訪問したいと思うところ・・・ |
2017/04/16 | |
名寄駅で後方の一両を切り離します・・・ 柱に掛けられているハンマーは、凍結した連結器を叩く為のものでしょうか? |
2017/04/16 | |
線路付け替えの跡・・・古風なレンガの橋脚が見られます・・・ |
2017/04/16 | |
紋穂内(もんぽない)駅へ到着・・・車掌車を改造した駅舎・・・ 真ん中に煙突が立っているのが面白く、激しくひび割れた塗装が却って造形的でもあります・・・ |
2017/04/16 | |
レンガの倉庫・・・ |
2017/04/16 | |
糠南(ぬかなん)駅・・・板張りホームはまだしも、 待合室は市販の物置に窓を付けただけ・・・これにはビックリ・・・ |
2017/04/16 | |
激しく蛇行する天塩川沿いを進みます・・・ 川を渡らない鉄橋・・・ |
2017/04/16 | |
雄信内(おのっぷない)駅・・・当初ここで降りる計画もあったのですが、 特急停車駅でも無いところで一旦降りてしまうと大変な事になるので、諦めました・・・ 人も居ないところで、熊に出会いたくないし・・・ |
2017/04/16 | |
幌延(ほろのべ)駅に着きます・・・ ここで22分停車・・・ヒガミちゃんの為に硬券入場券を買い求めます・・・ レ 幌延 1031 1053 レ |
2017/04/16 | |
跨線橋に古風な電燈が・・・ 夜ならばフォトジェニックな被写体になりそう・・・ |
2017/04/16 | |
当初は全体が緑に塗装されていたのでしょうが・・・ 木の部分がはげ落ち、それなりに味わいを増しています・・・ 幌延駅を発ちます・・・ |
幌延駅から2つ目、豊富(とよとみ)駅まで来たところで、 対向列車が来るというので列車先頭で撮影の準備をして待っていたのですが、 5分経ち・・・10分経ち・・・一向にその列車が現れず・・・ その内、乗務員に列車無線が入り、 対向列車がこの直ぐ先の、徳満駅~豊富駅間の人身事故で停止しているとのこと。 復旧には1時間以上かかる見込みとの連絡も・・・ |
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2017/04/16 | |
そこで、豊富駅周辺を見回すと、荷物車が・・・ この時ばかりは保存車が撮れてラッキーと思ってしまいました。 かなり状態が悪く、形式名称すら読み取れなかったので見誤りましたが、 実はこれは荷物車ではなく、鉄道事故の際、現場に派遣される救援車で、 オエ61 67 であることを後で知りました。 道路事情が悪かった昔は、このような車両も必要だった訳です。 鉄道復旧用の機材・資材などを積んでいました・・・ 救援車・・・今になって考えれば、これからの運命を暗示しているようです・・・ |
2017/04/16 | |
台車は古風なイコライザー式のTR11です・・・ スポーク車輪を装備しているので良い感じ・・・ その後、一向に運転再開の兆しが無く、タクシーによる代行輸送が行われることに・・・ 稚内駅から4台のタクシーが来ました・・・ タクシーに乗車し、線路沿いに数百m進んだところで、 キハ40がヘッドライトを点灯したままポツンと佇んでいました・・・ 辺りには現場検証と思われる警察官・・・道路にはパトカーが数台・・・ この前後の写真が無いことが、動揺を隠せません・・・写真家としては失格ですな・・・ 後で知った事ですが、宗谷本線で運転見合わせに至るような人身事故が起きたのは、7年半ぶりということです・・・ よりにもよって・・・こんな天気の日になぜ・・・ レ 豊富 1116 1245頃 |代行タクシー 稚内 1330頃 |
2017/04/16 | |
稚内駅前に着きタクシーから降ります・・・しかし、この唐突感は否めません・・・ 車止めと遠くには、これから宿泊するホテル・・・少し防波堤ドームも見えます・・・ 案内板には次のようにあります・・・ 日本最北端の線路 前稚内駅(昭和四十年九月〜平成二十三 年四月)の線路は、現在の位置よりも北側 に設置されていました。 この車止めとレールは、日本最北端の線 路として象徴的であったものを北海道旅客 鉄道株式会社より寄贈を受け、その当時の 記憶を継承するモニュメントとして稚内市 が平成二十四年三月に元の位置へ復元した ものです。 また、かつて北防波堤ドーム横にあった 稚内桟橋駅(昭和十三年〜昭和二十年)ま での線路をこの車止めから北側に延びてい る線で表しています。 |
2017/04/16 | |
ホテルに寄って荷物を降ろし、部屋からの眺め・・・ 未だ観光シーズンには早いので、眺望の良い部屋となったようです・・・ 左に防波堤のドームが見えます・・・ |
2017/04/16 | |
防波堤ドームへ行ってみます・・・ 稚内港北防波堤ドームの由来 この防波堤は戦前 稚内〜樺太との定期船発着所として築設されたも のでアーチ型構造物として立案され 昭和6年に着工し昭和11年に 完成したものであるが 激浪のため老朽が進み 昭和53年より改良 施工し 完成は昭和55年である この構造物の名称は 古代 ローマの柱廊を思わせる独特の外観から通称「ドーム」と呼ば れ世界で唯一のものである かつての稚内桟橋駅は、このドーム内にホームが在り、 列車を降りた乗客は、ドームを歩いて、さらに、 岸壁に横付けされた樺太連絡船に乗り込んでいったそうです。 |
2017/04/16 | |
次は旧瀬戸邸・・・いわゆるニシン御殿を見学・・・ レンガの煙突は2本在るものの外壁はモルタルで・・・ それ程、豪勢でもないのかなと思いきや・・・ |
2017/04/16 | |
商売先など客人をもてなした風景を再現・・・ |
2017/04/16 | |
和室の凝った窓・・・ |
2017/04/16 | |
天井・・・板同士を紐でクロスさせて結んでいます・・・ 極めて珍しい細工があちこちに・・・ |
2017/04/16 | |
モッコ・・・ニシンなどを運んだようです・・・ |
2017/04/16 | |
稚内駅に戻って稚内公園へタクシーで行こうとしたのですが・・・ 「冬季休業で未だ開いてないよ・・・」とのことで、止む無く駅へ引き返そうとすると・・・ 暫くして、その運チャンが追いかけてきて、「入れることが判った・・・」と知らせてくれました・・・ わざわざ無線で問い合わせをしてくれたようです・・・タクシーで向かいます・・・そして・・・ 九人の乙女の碑 この碑は、終戦時樺太の真岡(現・ホルムスク)郵便局で通信業務を死守しようとした9人 の女性の慰霊のために建てられたものです。北緯50度線でソ連と国境を接していた樺太で は、1945(昭和20)年8月、ソ連軍の不意の攻撃を受け40年間にわたる国境の静寂が 破られました。島民の緊急疎開が開始される中、戦火は真岡の町にも広がり、窓越しに見る 砲弾の炸裂、刻々と迫る危険の中、真岡郵便局の電話交換手は最後まで交換台に向かい ましたが「皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら・・・」の言葉を残し、青酸カリ を飲み自らの命を絶ちました。終戦5日後、8月20日のことでした。 慟哭を禁じえません・・・ |
2017/04/16 | |
樺太の方角を望みます・・・今日は見えません・・・ もちろん公園には誰も居ません・・・風も強く・・・ |
2017/04/16 | |
氷雪の門・・・ 一般的にはこちらの方が有名な観光施設です・・・ 帰りは、北門神社の脇から境内を通って、稚内駅へ・・・ 下り坂なので直ぐでした・・・ |
2017/04/16 | |
今日は、なにかと胸に刺さる出来事に見舞われますが・・・ それでも、列車で最北の地、稚内に着いていないということが、未だに引っかかっています。 そこで稚内から2駅引き返して、日本最北端の木造駅舎・・・抜海(ばっかい)駅まで往復することに・・・ 稚内 1804 レ 抜海 1821 |
2017/04/16 | |
抜海駅で下車・・・当然、降りたのは私だけ・・・気動車が、遠ざかっていきます・・・ 一人取り残され、人嫌いの私ですら、なんとも不安に駆られる瞬間・・・ |
2017/04/16 | |
日没直後だったので・・・生憎・・・日没風景も撮れず・・・ |
2017/04/16 | |
抜海駅・駅名標・・・すごい駅名ですな・・・ 温度計は 4.5℃ を示しています・・・ここでも強風が・・・ 抜海駅前周辺には、人が住んで居るのか判らない住居と廃屋が数軒だけ・・・ |
2017/04/16 | |
駅名標を撮る・・・ 最適なカットを得るため、刻々と暗くなっていく時間の中で、 設定を選びつつ10枚近くシャッターを切っています・・・ 電柱が木製だと、言う事無かったのですが・・・ それでも今回、お気に入りの一枚です・・・ |
2017/04/16 | |
抜海駅で1時間9分程経過して・・・ 今日、最後の下り普通列車がやってきました・・・ レールを照らす希望の光・・・ もちろんこれを逃すと、乗車可能な列車はありません・・・ 抜海 1930 レ 稚内 1949 |
2017/04/16 | |
稚内駅に戻ってきました・・・「日本最北端の駅」の表示を見て、 やっと列車で稚内に着いたという気分に浸れます・・・ |
2017/04/16 | |
ホテルで稚内駅で買い求めておいた「四大かに弁当」を・・・ たらばがに 花咲がに ずわいがに 毛がに ところがあまり違いが判らず・・・ 今日は精神的に消耗を強いられる事が多く・・・ しかし、これはこれから降りかかる厄難の単なる序章だったのでした・・・ |
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