無軸_top
本別 松本清張風に始めるなら・・・本別は生まれた在所の名である・・・
ということになるのでしょうか?・・・本別をおよそ半世紀ぶりに訪れます・・・

2021/06/25
546の帯広駅・・・
駅が未だ開いていないので、周辺をウロウロしていると・・・

2021/06/25
線路跡があり、案内板には・・・

このレールは、十勝の発展と共に歩んだ鉄道の歴史を記念し、
明治38年(1905年)に最初に鉄道が敷設された位置に復元したものです。
帯広市


先にあるのは交番です。線路は十勝鉄道とは関係ないようです。

2021/06/25
帯広駅構内・幟には・・・

釧路本線 全通九十周年
花咲線 全通百周年
釧路=白糠 開通百二十周年

2021/06/25
乗車する列車の進入・・・

帯広 620

池田 647


2021/06/25
少なくなった、元、転轍手小屋・・・、
北国らしく、窓が小さめ・・・

2021/06/25
池田駅到着・・・
手前の暗くて、鏡にも写っているのが乗車してきた列車・・・
先に見えるのが、池田発新得行きの列車
・・・

2021/06/25
跨線橋を渡って、反対側のホームへ・・・
右が乗車してきた列車・・・左は新得行き・・・
半世紀前に池田駅で何度か乗り換えた事があるはずですが、
もちろん記憶にはありません。

2021/06/25
池田駅・・・かつてはここから、
ふるさと銀河線(以前は池北線、その前は網走本線、さらにその前は網走線)が出ていました・・・

ちなみに、大正元年に函館から網走まで行くには、
函館ー倶知安ー札幌ー旭川ー美瑛ー帯広ー池田ー北見ー網走
と北海道内を北上したり南下したりと、大変な大回りを強いられました。
網走は、本当に最果ての地だったわけです。

2021/06/25
帯広発の十勝バスが来ました・・・乗客は3人・・・
帯広から乗ってもいいのですが、
料金節約とか、鉄道に乗りたいからとか、下車駅稼ぎとか色々理由があって・・・

池田 647 658
|十勝バス 陸別行き \630-
本別 741

2021/06/25
廃線跡のレンガの橋台が時折見えます・・・
途中、進行方向右手にレンガアーチの暗渠のようなものが一瞬見えたのですが、
写真に納める事かなわず・・・
後で、ストリートビューでも探しましたが、発見できませんでした。
空シャッターを切ってGPSデータだけでも記録しておけば良かったのですが、
そこまで頭が回りませんでした・・・

この区間の鋼製橋は、こちらの論文のように比較的研究されていますが、
レンガアーチ橋はあまり調査が進んでいないようです・・・

この事をLine君に話すと、いつものように・・・
「また行かないと・・・また行かないと・・・」
とけしかけられ・・・

サイロのある牧場・・・
バス停は、勇足(ゆうたり)13線とか共栄26線とか、
北海道開拓の名残を残した、独特な名称が続きます・・・

2021/06/25
ビーム橋が見えます・・・
バスはほとんど廃線跡に添って進んでいきます・・・

2021/06/25
本別に到着・・・
駅舎の在ったところは、「道の駅ステラ★本別」になっています・・・

2021/06/25
風情のある跨線橋が保存されています・・・
跨線橋は後でゆっくり見るとして・・・

2021/06/25
本別川橋梁へ向かいます・・・
昔日に比べて大分寂れているようです・・・

2021/06/25
本別川橋梁・・・
花に彩られたレンガの橋台が見えてきました・・・

2021/06/25
案内板には以下の様に記されていますが、
こちらの論文(p.19)にもあるように一部、事実誤認があります。
1966年に架け替えられたのは、池田側の1径間のみで、本別側は旧網走線以来のものです。
それは桁構造からも明らかです。
ここは非常に重要な点なので直してほしいところ・・・
また、橋梁の塗り替えは頻繁に行われる作業なので、
ここに記載するのは、どうかと思います・・・
また、ここの橋台のスタイルは独特なので、それにも触れてほしかった・・・

本別川橋梁(百年鉄橋)
橋梁の歴史
1908(明治41)年に建設され、1910(明治43)年9月に網走線が
開通して以来、ふるさと銀河線が廃止となった2006(平成18)年
4月までの97年間、本別町の鉄道の歴史とともに歩んできた鉄橋。
橋台にレンガを使用した工法は、現在ほとんど施工されず、貴重な
鉄道遺産といえる。橋げたは1966(昭和41)年に架け替えられ、
1974(昭和49)年に塗り替えられているが、橋台は現在まで昔
懐かしい姿を残している。

本別空襲
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年7月15日午前8時ころ、本別町は
米軍機による空襲を受けた。死者40人、全焼家屋279戸、大破
家屋112戸、罹災者1,915人。これは十勝で最大、北海道でも
函館・室蘭・根室・釧路に次ぐ5番目の被害であった。約50分
間の銃爆撃で街は三日三晩燃え続け、爆音は近隣の町にも
とどろいたという。

橋台に残る銃弾痕
レンガ製の橋台には、空襲で受けた傷が残っている。
本別空襲の爪痕を、忘れることなく後世に伝え残すために、
保存・公開しています。

平和を語りつぐまち・本別
本別町では、この本別川橋梁という、町内に残る数少ない戦争跡地を残し、
戦争の事実・悲惨さ、そして、平和を語りついでいきます。
この跡地が、本別町歴史の中の戦争の重みを物語っています。

2021/06/25
土木学会選奨土木遺産のプレート・・・
旧網走線開業時の鉄道施設群
レンガの色調にも注目・・・

2021/06/25
銃撃の痕跡・・・2箇所在るように見えます・・・
大きく欠けている部分は凍結による破損かもしれません・・・

1945.7.15 本別空襲の日、当初の目標だった帯広上空は、雲に蔽われていたため、
代わりに晴れていた本別が、攻撃目標となったそうです。(諸説あります)

当時、小学生だった叔父は、学校をサボって家に居たので、難を逃れたそうです。
というわけで・・・当方の学校嫌い・会社嫌い・組織嫌いは家系かもと思う次第・・・
DNAに刻み込まれた生存戦略ですな・・・

2021/06/25
通常、橋台の壁面は、後方に1/20程度の傾斜を設けますが、
ここでは、代わりに下部に2段、階段状に段差を付けています。
このタイプは他に見たことがありません。
レイアウトでこれを表現しても、判ってくれる人は殆ど居ませんな・・・
壁面がどの程度の角度になっているか、詳しく測ってくれば良かった・・・
レンガの寸法は 約(225~230)×(110)×(60)mm

2021/06/25
左側が桁が新しい池田側・・・右側は古い本別側です・・・
桁高さも違います。
レンガの橋台は本別側のみで、
その他の橋脚、橋台はコンクリ製に代わっています。

2021/06/25
池田側の新しい橋桁の銘板・・・

日本国有鉄道
1966(40-193)
KS-14 DG419-1
DG17.4T 230rf?
SA38-22T 45rf?
日本車両製造株式会社

2021/06/25
池田側の新しい方の桁は、X型の補強が密に入り、
左右の桁間のジグザグの補強は、桁上だけでなく桁下にも設けてありますが・・・

2021/06/25
古い、本別側の桁は、かなりあっさり・・・
模型化するなら、こちらの方が楽ですな・・・
橋梁の図面は「鉄作7号」とのことです。

2021/06/25
右が池田側の橋桁・・・支承が設けられています・・・
左の本別側には支承は無く、薄いパッドを挟む程度で、直接、橋脚に載っています。
コンクリの橋脚に銘板が見えます。
桁にも銘板がありますが、拡大しても読み取れませんでした。

2021/05/01
上から見たところ・・・
軌条は半分外され、外側のガードレールは残っています・・・
なお、手前の盛土部分のバラストは、それにあまり適していないと云われる、丸石でした・・・
線路が敷設された頃は未だ、バラストの研究が進んでいなかったのか、
砕石の調達に難があったのかもしれません。

2021/06/25
本別川橋梁の見学を終え・・・
生家の跡地へ・・・恐らくこの場所だったと思いますが、
今では跡形も無く、駐車場になっていました。
寂しい限り・・・

2021/06/25
本別町歴史民族資料館を見学しようと思いますが・・・
本別空襲の特別展示の準備のため、臨時休館!!!
入口で唖然としていると、そこへ、幸運にも学芸員さんが現れ、

どちらから?
千葉から半世紀ぶりに!!!と云うと、
一寸待っててください・・・とのことで、
パンフレットや資料など揃えて渡して頂きました・・・
機会がありましたら、是非再訪ください!!!
・・・と丁寧に応対頂きました。

Line君の、行かなきゃ攻撃で、また来訪することになりそうですが・・・

2021/06/25
駅へ戻って跨線橋の細部見学・・・

2021/06/25
階段部の窓は木製のまま保存されています・・・
主要寸法をレーザー計測・・・

2021/06/25
木枠の窓や笠の無い電灯・・・

2021/06/25
歪みのあるガラスを通して・・・

2021/06/25
跨線部には写真の展示が少々・・・

2021/06/25
レールの支柱には RSW 1907 I.R.J のロールマーク・・・案内板には・・・

~跨線橋の支柱に再利用されているレール~
★R.S.W. 1907 I.R.J★(写真)
R.S.W(Rheinische stahl Werke/ライニッヒ スティール ウォーク)
※ライン製鋼所(ドイツの製鉄会社で今はない)
1907(明治40年/製造年)
I.R.J(Inperial Railway of Japan/日本の帝国鉄道)
※~1907.3鉄道作業局(逓信省)1907.4~ 帝国鉄道庁(逓信省)
■このレールは明治40年(1907)にドイツで造られ、船に乗って日本に
運ばれ、旧網走線に敷設された。
■昭和28年(1953)に跨線橋の柱材として再利用されて、今に至ってい
ると思われる

2021/06/25
屋根材は往時のものから代えられていると思います・・・

2021/06/25
案内板にある、本別の駅本屋の写真・・・
屋根はトタン板を菱形に葺いています。

本別駅 HONBETSU STATION
鉄道歴史年表
■網走線時代
明治29年 北海道鉄道敷設法公布、第2期線として「利別ー相内間」を選定
明治40年 「池田ー網走間」鉄道建設工事に着手
明治43年 「池田ー陸別間」開通

■網走本線時代
大正元年「網走線」から「網走本線」に改称

■池北線時代
昭和36年 「池田ー北見間」の線名を「網走本線」から「池北線」に改称
昭和62年 JR発足、JR池北線となる

■ふるさと銀河線時代
平成元年1月 路線名を「ふるさと銀河線」に決定
2月 ちほく高原鉄道株式会社発足
6月 「ふるさと銀河線」開業
平成7年「岡女堂駅」開業
平成18年 4月20日臨時列車「さよならふるさと銀河線号」(3両編成)運行


2021/06/25
跨線橋とC58 391・・・
今はサッシとなっている跨線部の窓ガラスは、木枠で6分割されています。
端部にも窓とトラスがあります。
当時は菱形の板に記されていた「安全第一」の標語も、
現在は正方形、幕上に移ってます・・・

鉄道の歴史
■明治43年「網走線」として開通。当時、鉄道建
設工事のうわさが流れると本別市街は急速に発展、
一杯屋も軒を連ねるようになり宿屋も開業した。
勇足や仙美里に商店街が形成されたのもこの時期
であった。
しかしその後の車社会化、過疎化・少子化によ
り経営が悪化し、国鉄再建法の廃止路線に承認。
「JR北海道」に継承され、その後高齢者や学生など
の貴重な足として鉄路を存続させたい沿線住民の
熱い要望により、北海道では唯一の第三セクター
「北海道ちほく高原鉄道」として存続されたが、平
成18年4月20日をもって廃線となった。

2021/06/25
昔の写真とは違い、現在は端部の窓は塞がれていて、
なぜかこの部分のトラス構造も外されています・・・

追記:以前、この部分に後付けの跨線橋が繋いであり、
なるべく元の形に戻すため、
後付け部を撤去したためと判りました・・・

2021/06/25
ポイントは無いのですが、手動の、錘付き転換機があります・・・
昔、参宮線の宮川駅で、D51が入換作業中ポイントを渡ると、
フランジの横圧で、錘が跳ね上がり、
脱線しないのだろうか?と心配して見ていた事があります・・・

2021/06/25
本当に北海道のこの季節の花々は美しい・・・
誰も着目しないのが不思議・・・
バスで陸別へ向かいます・・・

本別 741 1141
|バス \1,250-
陸別 1249

2021/06/25
バスは仙美里駅跡へ立ち寄り・・・
現在は鉄道資料室になっています・・・
機会があれば訪れたい・・・

2021/06/25
足寄駅へも立ち寄り・・・

2021/06/25
木造駅舎が保存されていました・・・
屋根は往時の菱形の葺き方です。
こちらも今度じっくり観察したいところ・・・

2021/06/25
北海道の川は、内地のものに比べて雰囲気が違う・・・

2021/06/25
陸別に着くといきなり跨線橋が・・・

2021/06/25
気動車が多数・・・しかも動いています・・・
これまでとは一転、にぎやかな雰囲気・・・

2021/06/25
ふるさと銀河線時代の駅名標・・・
隣駅は 薫別 と 分線


2021/06/25
木造の機関庫は2代目で、1916(大正5)年建造のもの・・・

2021/06/25
機関庫の別角度・・・

2021/06/25
機関庫の裏手・・・
左に転車台の一部が見えています・・・

2021/06/25
本別町のレンガ橋台と同時期に、
土木学会選奨土木遺産に選定された、転車台・・・
手押しで回すようです・・・
中央付近に銘板があって、製鉄所も記載しています・・・

KISHA SEIZOU KWAISHA
OSAKA 1909
社會資合造製車汽
阪大
造製年二十四治明
MATERIALS
IMPERIAL STEEL WORKS
JAPAN

IMPERIAL STEEL WORKS JAPAN は官営八幡製鐵所のことです。

2021/06/25
転車台のピットの壁面はレンガ積み・・・
英国積みのようです・・・

2021/06/25
旧陸別線路班詰所・・・
建札には次のように・・・

昭和二十年度 作業休憩棟竣工
平成十九年度 修復工事

2021/06/25
よくわからない鉱山鉄道の車両・・・

2021/06/25
跨線橋は塗色以外は、本別のものに類似しています・・・

2021/06/25
跨線橋下の倉庫・・・天窓が珍しい・・・

2021/06/25
跨線橋・・・出入り口には扉が・・・
屋根には雪止め・・・

2021/06/25
事務所には閉塞器・・・
売店で鉄道グッズをしこたま買い求めると・・・
「今日も頑張れ宗谷本線」 のポスターを頂きました。
紙筒を持ち帰るのは大変なのですが、頑張って持ち帰りました・・・

2021/06/25
近くの公園には朝ドラの撮影で使用されたサイロ・・・
念のため寸法を測っておきました。
地面から軒下まで4.2m 板の幅140mm

陸別 1425
|北見バス \1,580-
北見バスターミナル 1600

2021/06/25
しばらくは鉄路が沿っています・・・

2021/06/25
突然の凄まじい雹(ひょう)・・・
そういえば台風が接近していましたな。

2021/06/25
雹は止んで・・・
バスは訓子府駅に寄って・・・

2021/06/25
北見に到着・・・ホテルに荷物を置いて早速、周辺の探索・・・
跨線橋を見つけ、北見駅方面を望む・・・

2021/06/25
反対側を見ると石北線の北見トンネル・・・
左の線路は元ふるさと銀河線の線路・・・

2021/06/25
ふるさと銀河線の跡地に沿って歩き、少し脇へ逸れると・・・珍しいD50の保存機が・・・
公園は柵がしてあり立ち入り禁止のようだったので、
正面からしか撮れませんでした。案内板には・・・

D50形式蒸気機関車
大正時代のわが国の産業の発展
に伴い輸送力増強のために貨物
用9600型(キュウロク)より強力な蒸気
機関車が必要となり製作された
380輌のうちの1輌である。
大正13年に製作されてから昭和45年
までの47年間道内で勾配線区の急行
旅客列車や石炭輸送にに活躍した。
北見市

D5025号車歴
製造年 大正13年
廃車年 昭和45年
製造所 川崎造船所
配置機関区 追分機関区
重量 機関車 78.14t
(運転整備) 炭水車 49.00t
動輪直径 1400mm
最大馬力(PS) 1,280
最高時速 75km/h

追分機関区に居たのですな・・・

2021/06/25
街灯の柱はレール・・・

この照明柱は旧ふるさと銀河線の
レールを再利用したものです

製造者:英国製(Bolckow,Vaughen & Co.Ld)
規格:60ポンド/ヤード
製造年月:1903年3月

2021/06/25
北見はっか記念館の脇を通り・・・

2021/06/25
数量の車両が置いてあります・・・
個人所有のものらしい・・・
DD14とラッセルヘッド。

2021/06/25
ラッセル車とか・・・

2021/06/25
広幅雪かき車とか・・・

2021/06/25
と云う訳で、本日は、本別、陸別、北見・・・と収穫の多い日でした・・・
しかし、夕食はいかめししか見当たらず・・・
ジンギスカンでも食べに行けば良かった・・・
まあ緊急事態措置が解除されたとはいえ、大人しくしていますか・・・


とてっぽ  へ戻る・・・  次は 丸瀬布  へ・・・

油庫リスト へ戻る

無軸_top