松浦鉄道 | 今日は松浦鉄道を踏破します・・・ |
2019/01/27 | |
早朝の佐世保駅・・・ ホーム留置の特急電車には未だ明かりもありません・・・ 佐世保 548 レ 松浦鉄道 吉井 647 737 (715撮影) |
2019/01/27 | |
松浦鉄道の気動車が入線・・・ |
2019/01/27 | |
松浦鉄道のホームには、これから訪問するアーチ橋の解説もありました・・・ 国登録有形文化財 福井川橋梁・吉田橋梁・吉井川橋梁 平成18年11月29日登録 旧国鉄伊佐線(現松浦鉄道)は北松浦半島を周回する路線で、 昭和3年(1928)に着工し、昭和19年(1944)に 開通した。 一連の工事において特に難航した部分が潜龍駅(現潜龍ヶ滝 駅)と肥前吉井駅(現吉井駅)の間だった。両駅間の約4kmの 間には福井川や佐々川が流れる深い谷間が連続しており、 昭和14年(1939)から昭和19年(1944)にかけて 福井川橋梁、吉田橋梁、吉井川橋梁が架橋されている。 つまり、これらの橋梁の完成により伊佐線は開通したといえる。 これらの橋梁群はいずれもコンクリート製のアーチ橋で、 資材不足から鉄筋の代わりに竹筋が用いられたと伝えられている。 平成21年1月13日 松浦鉄道株式会社 佐世保市教育委員会 |
2019/01/27 | |
佐世保を発って佐世保中央駅・・・ 隣駅の中佐世保とは200mしか離れておらず、 最も駅間が短い区間として知られています・・・ 佐世保 548 レ 松浦鉄道 吉井 647 737 (715撮影) |
2019/01/27 | |
吉井駅に到着・・・ 空は白みかけてきましたが・・・ |
2019/01/27 | |
森を背景にした踏切は、まだ真っ暗・・・ 最西部の駅を抱える路線だけあって、 日の上るのが遅い。 |
2019/01/27 | |
アーチ橋で・・・直前になってようやく光が入りました・・・(715撮影) 怠惰なヒガミちゃんからはこのころ 元気でよいね~今起きた と・・・ |
2019/01/27 | |
吉井駅へ戻って・・・寒い・・・ |
2019/01/27 | |
対向列車の入線・・・ |
2019/01/27 | |
乗車する列車の入線・・・ようやく温まる事ができます。 数人の学生を乗せて、たびら平戸口駅へ・・・ 吉井 647 737 レ たびら平戸口 805 848 |
2019/01/27 | |
日本最西端の駅・・・たびら平戸口駅に到着。 これまで、最北端の稚内駅、最東端の東根室駅、最南端の西大山駅を訪れていますので これで東西南北を制覇した事に・・・ (JR・もしくは旧国鉄線に於いて・・・それ以外、興味はありませぬ) |
2019/01/27 | |
たびら平戸口駅 |
2019/01/27 | |
佐世保方面へ向けての気動車を見送る・・・ |
2019/01/27 | |
小さな鉄道博物館が併設されていますが、 未だ開いておらず・・・ |
2019/01/27 | |
駅前には、石炭車と、その炭庫に入った、これまた大きなカマキリ・・・ 近くに昆虫博物館が在るようです。 |
2019/01/27 | |
番線表示を撮っていたら、いつの間にか気動車が進入・・・ そのままシャッター押下・・・ たびら平戸口 805 848 レ 伊万里 958 |
2019/01/27 | |
時折、海が見えるようになり風光明媚・・・ |
2019/01/27 | |
線路はR200の急曲線の表示・・・ 勾配は30‰の表示もあったように思いますが、 勾配標の破損、表示の消滅が多く、よく判らない・・・ 蒸機の運行がない現在、勾配の程度にはあまり気を使わなくなったのかも・・・ |
2019/01/27 | |
海近くになって線路は平坦に・・・ |
2019/01/27 | |
海には島々がポコポコ浮いている・・・ |
2019/01/27 | |
船溜まりが在ったり・・・ |
2019/01/27 | |
松浦鉄道、有田方面からの線路と合流。 |
2019/01/27 | |
伊万里へ到着。観光案内所で伊万里焼の箸置きを購入・・・ たびら平戸口 805 848 レ 伊万里 958 |
2019/01/27 | |
蔵宿駅は松浦鉄道の数少ない木造駅舎。入母屋造りで、機会があれば降りてみたい・・・ |
2019/01/27 | |
有田へ到着・・・ |
2019/01/27 | |
有田駅構内には、少々大型の木造の貨物駅上屋が残されています・・・ 陶磁器の積み込みなど行われていたのでしょうか? |
2019/01/27 | |
車止め・・・ 有田 1045 1056 レ 上有田 1059 |
2019/01/27 | |
上有田で下車・・・ 駅名票がギリギリで入らなかった・・・ |
2019/01/27 | |
気を取り直して撮り直し・・・ |
2019/01/27 | |
寄棟造りの上有田駅本屋・・・ |
2019/01/27 | |
町の方向へ・・・ 出入り口ともコンクリートで固められていますが内部はレンガアーチ・・・ 元は風情のあるアーチ橋だったと思われますが、 線路の拡幅によってこのような姿になったと思われます・・・ |
2019/01/27 | |
観光名所トンバイ塀のある通りまで来ました。 |
2019/01/27 | |
トンバイ塀とは、登り窯を築くために用いた耐火煉瓦(トンバイ)や、 陶片などの廃材を赤土で固めた塀の事だそう・・・ |
2019/01/27 | |
街並みは統一感があってよろしい・・・ |
2019/01/27 | |
異人館を見学・・・ 説明員の方に詳しく説明して頂きました。 |
2019/01/27 | |
異人館の二階から見る・・・ ブラタモリ見ましたか?と聞かれ あの山の向こうで有田焼きに適した陶土が発見されたそうです・・・ ブラタモリでそこでのロケがありました。 |
2019/01/27 | |
異人館の階段・・曲線を描いている。 説明員の方は真向いの深川製磁で長年働いてらしたそうです。 それで、購入を強いるわけではないのですが、 見るだけでも良いのでよかったら販売所も覗いていってくださいとのこと・・・ ヒガミちゃんの押し売りとは別次元の丁寧さ・・・ |
2019/01/27 | |
異人館の正面にある深川製磁の工場・・・ 富士山の社標にも注目・・・ |
2019/01/27 | |
建物の組み合わさり方が絶妙・・・ |
2019/01/27 | |
深川製磁、販売所の建物。 右奥は深川製磁の工場です。 |
2019/01/27 | |
深川製磁販売所の入り口・・・ 社標は富士山をモチーフにしたものだそうです。 輸出がメインですから・・・ 高価な磁器が並ぶ中、ここでは廉価な小皿を一点だけ購入しました。 |
2019/01/27 | |
通りの方へ少し行っててみます・・・工事中・・・ |
2019/01/27 | |
絵付けの道具などを扱っているのでしょうか? |
2019/01/27 | |
わかめうどん・・・2〜300円ぐらいで随分廉価だった・・・ |
2019/01/27 | |
好ましい木造建築が並びます・・・ |
2019/01/27 | |
模型化したいくらい可愛らしい建物。 |
2019/01/27 | |
細々したところにも贅沢感・・・ 陶器博物館などにも寄りたいところですが、 時間があり余っている訳でもないので・・・ |
2019/01/27 | |
川床にまで敷石・・・ |
2019/01/27 | |
上有田駅へ戻ってきました・・・ |
2019/01/27 | |
駅ホームから見えるレンガの煙突が製陶の町を示しています・・・ |
2019/01/27 | |
駅のはずれは直ぐトンネル・・・ |
2019/01/27 | |
普通列車が来ました。予定を変更して早岐駅へ向かいます・・・ 上有田 1059 1331 レ 早岐 1348 |
2019/01/27 | |
早岐駅到着 |
2019/01/27 | |
給水塔の台座が残されています・・・ 九州旅客鉄道(株)鉄道施設群 早岐駅と給水塔跡 佐世保に軍港が置かれると陸上輸送を担う鉄道の建設が急がれ、明治 30年(1897)に早岐駅が開業した。早岐には機関区(蒸気機関車の基地) も置かれ、鉄道関係の施設が次々に建設されていった。この給水塔も その施設の一つで、高低差を利用して蒸気機関車に急速に給水するため の施設であり、かつては上部に鋼製の水槽が設置されていた。ところで 武雄方面から早岐駅に入ってきた列車が佐世保方面へ向かう場合、バック 運転となる。このスイッチバック運転は早岐駅の特徴として「鉄道唱歌」 にも「めぐる車輪の早岐より右に別かるる佐世保道」と歌われている。 写真 開業時の早岐駅本屋 平成26年に解体された旧早岐駅本屋とは異なり 和風の趣が強い。後に大幅な改築が行われたと考えられる。 写真提供:沖 順二 写真 給水塔旧状 平成8年ごろに撮影された給水塔。 上部の鋼製タンクに水を溜め、 高低差を利用して給水した。 写真提供:岡林 隆敏 平成29年(2017)3月31日 佐世保市教育委員会 |
2019/01/27 | |
水管など・・・ |
2019/01/27 | |
レーザー測距儀で内径なども測っておきました・・・ 内径4,480m 間口1,761m レンガ寸法(220〜230)×(105〜110)×(55〜60) |
2019/01/27 | |
早岐機関区発祥之地の碑も・・・ |
2019/01/27 | |
案内板には給水タンクが在った頃の写真・・・ 早岐 1348 1441 レ 牛津 1535 |
2019/01/27 | |
牛津駅へ・・・ |
2019/01/27 | |
牛津駅まで来ました・・・ |
2019/01/27 | |
レンガで統一された牛津駅・・・ なぜ牛津かというと、ここも父の実家の近くだからです。 |
2019/01/27 | |
牛津赤レンガ館へ・・ 佐賀県遺産 第二〇〇五〜七号 牛津赤れんが館 この地は、江戸時代には、長崎街道 沿いの宿場町 牛津宿として、また有明海 に面した港町 佐賀三津のひとつとして 栄え、「一(市)は高橋、二(荷)は 牛津」、「牛津 津でもち、駅でもち、 町の栄は店でもつ」とうたわれた。 牛津赤れんが館は、玉屋デパートの 前身である田中丸商店の倉庫として 明治時代後期に建てられたものである。 隣接する牛津町会館とあわせて商都 牛津を象徴する建物である。 佐賀県遺産 |
2019/01/27 | |
隣のお屋敷・・・剪定の具合が面白い・・・ 佐賀県遺産 第一〇〇五〜八号 牛津町会館 牛津町会館は、九州の財界人として 著名な田中丸氏の邸宅として大正 年間に建てられたものである。内部 は繊細な数寄屋風の木造建築物で、 大きく南棟と北棟に分かれ、畳廊下で つながっている。庭園内には、九州 の商王と呼ばれた初代田中丸善蔵 氏の銅像が建っている。 隣接する牛津赤レンガ館とともに、 かつて、「九州の浪速」と呼ばれ商人 の町として活況を呈した商都牛津を 彷彿とさせる建物である。 佐賀県遺産会議 |
2019/01/27 | |
壁面・・・ 生憎、日曜日だったので内部は見ることが出来ませんでした。 レンガ寸法(210〜225)×(105〜110)×(60) |
2019/01/27 | |
長崎街道と宿場町展示館 小城屋根のない博物館 国登録有形文化財 牛津赤れんが館 この建物は、長崎街道の宿駅牛津を代表する商家で、後に玉屋デパートとして発展を遂 げる田中丸商店の倉庫でした。建築年代は不明ですが、明治時代中期〜後期に建てられた ものだと推定されます。 第二次世界大戦中は、一時軍需工場として、また戦後は西村鉄工所有の倉庫として利用 されてきましたが、平成六(一九九四)年に牛津町に寄贈され、平成十二(二〇〇〇)年に は国登録有形文化財となっています。 煉瓦造りの二階建て倉庫で、桁行二〇.三メートル梁行八.五メートルの大きさです。煉瓦はオランダ 積みと呼ばれる方法で、一階の壁の厚みは煉瓦の小口三個分(三三.五センチ)です。軽く湾曲 させた屋根の形状(むくり屋根)、軒下には垂木を思わせるデザイン、花崗岩と煉瓦を組み合わせた妻面の空気穴など、 大きな特徴があります。赤煉瓦と釉煉瓦が混在し、焼けむら や風化も相まって独特の景観と色調を醸し出しています。 この赤れんが館は、商人の町として栄えた牛津町の景観を現在に伝える貴重な近代化遺産 だといえます。 平成二十七年十二月 小城市教育委員会 |
2019/01/27 | |
牛津駅へ戻って・・・ 待合室は、地場産品の展示。 牛津 1535 1611 レ 佐賀 1620 |
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佐世保に着きます。 佐賀BC 1735 |空港リムジンバス 佐賀空港 1810 1905 |ANA458 羽田空港 2040(2051着)2111 レ 品川 2126 2132 レ 柏 2222 2223 レ 北柏 2226 |
2019/01/27 | |
これまで少々歩き過ぎたためか、 土産物センターで腰痛がひどくなり・・・ それでも何とか帰り着く事ができました・・・ 未だ歩けるうちに、JR・旧国鉄線全線踏破しないと・・・ 未踏に終わったら、死ぬに死ねない・・・ 佐賀空港 1905 |ANA458 羽田空港 2040(2051着)2111 レ 品川 2126 2132 レ 柏 2222 2223 レ 北柏 2226 |
今回のお局さん 16個入りという微妙な数の、お菓子を献上して数日経過・・・ やや地味な包装も、あまり興味を惹かなかったようで・・・ この間の佐賀のお菓子どうなった? ああ配るの忘れてた・・・昼前だけど今から配っちゃえ。ハハハ・・・ バサッと音がする。 アハハ・・・ねえ!見て見て!軸さんのお菓子、落っこどしちゃった! ・・・もう、中途半端な数だから配るのに苦労すんだよ!! と女性とは思えない悪態をつきながら、配ってました。 好き嫌いそのまま、本能に忠実に行動。 ・・・今後のお菓子は見栄え重視で20個入り以上とする事にしましょう。 ところで、お局さまといえば、春日局・・・明智光秀の縁者ですが、 来年の大河ドラマは明智光秀だそうです。 私が生きている内に光秀の大河が見られるとは思ってもいませんでした。 本能寺の変という日本史史上最大の事件の張本人として、 過度に不当な評価が定着している印象ですが、 徳川家康は高く評価し、恩義も感じていたと云われます。 ドラマに最新の歴史研究成果が織り込まれる事は間違いなく、 多くの人に感動を与える傑作となる事、間違いなしでしょう。 光秀に関する書籍も続々刊行されているようで、今から期待してます。 |
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