深谷・丹荘駅 | 春の「青春18きっぷ」最後の1枚は、煉瓦愛好家にもかかわらず、未だ訪れていなかった、深谷の日本初民間専用線の遺構と旧日本煉瓦製造株式会社へ・・・帰りは八高線経由で・・・ |
2018/04/08 | |
深谷駅で下車・・・駅舎は煉瓦を供給した東京駅風に造られています・・・ 北柏 546 レ 我孫子 548 553 レ 上野 627 640 レ 深谷 803 |
2018/04/08 | |
深谷駅から南へ線路沿いに進むと、早くも煉瓦の構造物・・・ |
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最初に渡る鉄橋は唐沢川鉄橋・・・ 案内板には次のように・・・ 旧日本煉瓦製造株式会社上敷免工場 専用鉄道線跡 唐沢川に架かる長さ約13.4mの鉄橋は、チャールズ・アセトン・W・ボナールという イギリス人技師が設計した鋼板桁(プレート・ガーダー)橋です。当初は違う構造でしたが、 大正時代以降にこの構造になったようです。ボナールは、明治15年に鉄道院 が外国から招いた最後の技師で、ボナール型プレート・ガーダー橋は、明治28年から 明治34年までに国内各地に架設されました。この橋桁自体は、以前に 製作され使用されていたものを移設、又は再構成したものと思われます。 (図)明治43年の深谷地方図 (写真)唐沢川鉄橋付近(昭和40年代) (写真)唐沢川鉄橋 |
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次第に高崎線と離れはじめます。 |
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カーブを描きながら高崎線から別れる・・・ 遊歩道は自転車用と歩道に分けられています。 |
2018/04/08 | |
案内板が各所に・・・ 旧日本煉瓦製造株式会社上敷免工場 専用鉄道線跡 専用鉄道線は、明治初頭に建てられた中山道深谷宿東端(稲荷町)に建つ 常夜灯のすぐ脇を通っていました。昭和50年に廃線となった後、歩行自転車 専用道として整備されていきますが、それまで専用鉄道線は街の景観の一つでした。 (以下写真の説明)旧中山道にあった専用鉄道線とその踏切(昭和29年頃) 稲荷町と原郷の境で、常夜燈が見える。 写真(上)(右下)は東から、写真(左下)は西から撮ったもの。 小林健太郎氏撮影 押川航武氏提供 国道17号付近(昭和50年代) |
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紅白のハナミズキが開花しはじめています・・・ |
2018/04/08 | |
2kmほど歩いて福川鉄橋へ・・・プレート・ガーダー橋の側から。 旧日本煉瓦製造株式会社上敷免工場 専用鉄道線跡 福川には、長さ約10,1mの鉄橋と、洪水に備えた長さ約22.9m の避溢橋が架けられました。鉄橋は、イギリス人ボナールが設計 した鋼板桁(プレート・ガーダー)橋です。河川改修に伴って移設 されましたが、ほぼ明治28年に創設された当時のまま残っており、 日本に現存する最古のボナール型プレート・ガーダー橋です。 また避溢橋は、5連の箱桁(ボックス・ガーダー)橋で、 当初は木桁だったものが順次鉄になっていったようです。 また、これより北の17号バイパス付近には、 十二祖用水橋という長さ約3.3mの小さな鉄橋がありました。 (写真)福川鉄橋(南から)(昭和50年代) (写真)福川鉄橋(全景)(昭和50年代) (写真)福川鉄橋(南から)(昭和55年) (写真)踏切跡(昭和50年代) |
2018/04/08 | |
ボックス・ガーダーの構造・・・ I形鋼を2本並べ、上下の平鋼をリベットで止めています。 |
2018/04/08 | |
福川鉄橋を公園から見る・・・プレート・ガーダー橋は奥側です。 手前のボックスガーダー2連は、径間の途中にも煉瓦橋脚の支えがあります。 その途中の橋脚は、若干細く造られています。 福川鉄橋 深谷市指定文化財 昭和61年12月22日指定 (図) 日本煉瓦製造株式会社専用線の福川に架設された鉄橋で、福川に架けられていたプレート・ガーダー 橋と、その北側の水田の中に造られていた5連のボックス・ガーダー橋からなっていました。 プレート・ガーダー橋は、全長10.1mで、明治28年(1895)の建設当初の姿をほとんどそのままに伝えており、 現存する日本最古のボナール型プレート・ガーダー橋です。 ボックス・ガーダー橋は、全長22.9mで、洪水のときに福川から溢れた水の逃げ場をあけておく ために設けられたものです。当初は木桁でしたが、順次鉄桁に変えていったようです。 ボナール型プレート・ガーダー橋は、イギリス人鉄道技師、チャールズ・ボナールの設計による 鉄橋です。日本の近代化を象徴する産業遺構として、極めて高い歴史的価値を持っています。 深谷市 深谷市教育委員会 |
2018/04/08 | |
周りに人家は無くなり・・・ 辺りは全て煉瓦の原料で土を取り去り、 水田に作り替えられた跡です・・・ 線路跡だけが少し高い位置を走っています。 旧日本煉瓦製造株式会社上敷免工場 専用鉄道線跡 渋沢栄一翁が中心となって明治20年に設立された日本煉瓦製造株式会社の上敷免 工場では、日本で初めて機械による煉瓦の大量生産を行いました。約10万m2の広大な 敷地をもち、明治40年ごろの最盛期には、6基の煉瓦窯が稼働しました。 原料となる粘土(原土)は、周辺の畑地から採掘されてトロッコで工場まで 運ばれ、採掘後の畑は、一段低くなって水田になりました。 (写真)操業開始後の上敷免工場(明治22年) (写真)原土採掘と運搬の様子(明治30年頃) (写真)最盛期の上敷免工場(明治40年) (写真)上敷免工場全景(明治32年) (写真)製品の煉瓦を貨車へ積み込む様子(明治32年頃) |
2018/04/08 | |
国指定重要文化財の案内板・・・ 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 備前渠鉄橋 重要文化財(建造物) 平成九年五月二十九日指定 煉瓦輸送専用に架設された鉄橋である。 操業当初からの輸送手段であった利根川船運は 安定した輸送力に欠け、燃料や製品の輸送に度々 問題が発生した。これを解決するため建設された のが本専用線であり、明治二十八年、深谷駅との 間で日本初の民間専用線として運用を開始した。 専用線には四箇所の鉄橋が架設されているが、 唐沢川、福川、備前渠には、当時の鉄道員技師、 イギリス人チャールズ・アセトン・ボナールが 基本定規を設計したI字形鋼板を橋桁とする 「ボナール型プレート・ガーダー橋」が採用された。 中でも本鉄橋は十五・七メートル(約五十フィート) と、専用線中最長の橋桁を有している。 また分岐する用水路に架設された煉瓦アーチ橋は、 長さ約二メートルと小規模ながら、完全な煉瓦構造と 推定される貴重な構造物である。 文化庁 埼玉県教育委員会 深谷市教育委員会 |
2018/04/08 | |
先ず、煉瓦アーチ橋・・・ 旧日本煉瓦製造株式会社上敷免工場 専用鉄道線跡 工場の南には、江戸時代に開削された備前渠が流れ、イギリス人技師ボナールが 設計した専用鉄道線最長(長さ15.7m)の鋼板桁(プレート・ガーター)橋、 備前渠鉄橋が架けられました。 また用水路には煉瓦アーチ橋が架けられています。 これらは、旧煉瓦製造施設の一つとして、 ホフマン輪窯6号窯、旧事務所、旧変電室とともに 国重要文化財に指定されています。 (写真)備前渠鉄橋を渡る機関車(明治40年頃)持田秀之氏撮影 (写真)レールが撤去された備前渠鉄橋(昭和50年代) (写真)現在の備前渠鉄橋 (写真)現在の煉瓦アーチ橋 |
2018/04/08 | |
次いで備前渠鉄橋です。 |
2018/04/08 | |
プレートガーダーは縦のリブの上下端の形状が、後世のものと異なります・・・ プレートガーダーを支える支承はありません。 直接、煉瓦の橋台に乗っています・・・ |
2018/04/08 | |
深谷駅から4km程歩いてようやく到着・・・ 煉瓦塀と変電室の建物・・・ 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧変電室 重要文化財(建造物) 平成九年五月二十九日指定 明治三十九年頃の建造と言われている。室内 には変電設備が設置されていた。 日露戦争後の好景気による建築・土木事業の拡大 がもたらした煉瓦需要の増加に対応するため、 日本煉瓦製造株式会社は、設備投資の一環として 電力の導入を開始した。諸産業への電力利用の普及 もあり、従来より使用していた蒸気式原動機の 電動機への転換に踏み切ったのである。 明治三十九年八月、会社は高崎水力電気株式会社 と契約を締結、電灯線を架設し、電動機を導入した。 当時の深谷町に電灯が導入される一年前のことであり、 先端技術を積極的に導入しようとする会社の姿勢を うかがうことができる。 その設備自体はすでに失われているが、この建物 だけが建造当時の姿をとどめている。当時の 煉瓦業界の隆盛を物語る貴重な建物である。 文化庁 埼玉県教育委員会 深谷市教育委員会 |
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煉瓦の門を通ります・・・ 十字の型は日本煉瓦製造株式会社の社標・・・ |
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旧事務所が煉瓦博物館となっています・・・ 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧事務所 重要文化財(建造物) 平成九年五月二十九日指定 建物は明治二十一年頃の建設で、煉瓦製造施設 の建造と煉瓦製造技術の指導に当たったナスチェンテス・ チーゼ技師が住居兼工場建設事務所として 使用したと伝えられている。地元の人々からは 「教師館」「異人館」の名で呼ばれていた。 日本煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した 洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を 大量供給民営工場として、渋沢栄一らが中心と なって設立された。工場建設地は、当時政府 に招かれていた建築技師ウィルヘルム・ベックマン、 チーゼらのドイツ人技術者の指導により選定され、 良質の原土を産出し、水運による東京への 製品輸送が可能な現深谷市上敷免 新井に決定された。 チーゼは娘クララと共に明治二十二年十二月に帰国 するまでここで生活し、彼の帰国後は会社事務所と して使用された。 文化庁 埼玉県教育委員会 深谷市教育委員会 |
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まだ朝早く、誰も訪れていなかったということもあって すぐ煉瓦を焼成するホフマン窯へ案内され詳細な説明を受ける・・・ こちらの数々のマニアックな質問にも、丁寧に答えて頂きました。 |
2018/04/08 | |
燃料を投下した穴ということです・・・ |
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窯の2階では窯の余熱で焼成前のレンガを乾燥させていたそうです・・・少し判り難いですが、 その煉瓦を台車に乗せて移動させるための、カーブしたレールが見えます。 |
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その煉瓦を運んだ台車・・・ |
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事務所へ戻って、最盛期の工場の模型・・・ 工場内に引込み線が沢山敷かれています。 |
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桜の印が押されている煉瓦・・・ |
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外の変電室の見学・・・ |
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丸みのある加工がされていたり、角が落とされていたり・・・ 堅いデザインになりがちな煉瓦建造物ですが それを少しでも払拭しようとしたのでしょうか? |
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事務所の前景・・・ |
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事務所裏手・・・ |
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色々と細やかな細工・・・ 見学を終え、再び4km、急いで駅へ戻ります・・・ |
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深谷駅外壁は煉瓦ではなく、煉瓦に見せかけたタイルです。 深谷 803 1141 レ 倉賀野 1203 |
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倉賀野で乗り換え・・・ 倉賀野 1203 1215 レ 丹荘 1230 |
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気動車で・・・ |
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丹荘駅まで来て下車・・・ |
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若干、私鉄風の趣もあり、大層姿のよろしい駅舎です・・・ 妻面の窓幅は 850mm アルミサッシに代えられる前はどんな様子だったのか?興味があります。 |
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正面から・・・ 正面出入口扉幅は 950mm ×2 ぐらい。 模型化も考えたくなる良い佇まい。 |
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駅前広場の池には水が張られて金魚が泳いでいます・・・ |
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下り列車と併せて・・・ |
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待合室には上武鉄道時代の写真も展示・・・ 現在はハイキングコースとなっている、旧上武鉄道の遺構もあるようです。 次の機会に歩いてみたいところ・・・ |
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スマホで調べると近くにハンバーグ屋さんがあるようなので、向かいます・・・ 途中、道路元標・・・ |
2018/04/08 | |
ハンバーグ康(やす)というお店で、和風ハンバーグ定食を注文・・・ 比較的安価で美味・・・ 地元住民がよく訪れるようで、結構混んでました・・・ |
2018/04/08 | |
駅へ戻ってきました・・・建物の重なり具合もよろしい。 |
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上り列車が来ました・・・ 丹荘 1230 1354 レ 高麗川 1507 |
2018/04/08 | |
途中は不覚にも寝てしまって、高麗川で乗り換え・・・ 丹荘駅と少し共通するものがあります。 八高線は未だあまり訪れていないので、これから通う必要がありますな。 高麗川 1507 1526 レ 川越 1547 1550 レ 赤羽 1636 1639 レ 秋葉原 1700 1824 レ 我孫子 1859 1936 レ 北柏 1939 |
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